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列子 / 湯問篇

孔周曰:「吾有三劍、唯子所擇、皆不能殺人、且先言其狀。一曰含光、視之不可見、運之不知有。其所觸也、泯然無際、經物而物不覺。二曰承影、將旦昧爽之交、日夕昏明之際、北面而察之、淡淡焉若有物存、莫識其狀。其所觸也、竊竊然有聲、經物而物不疾也。三曰宵練、方晝則見影而不見光、方夜見光而不見形。其觸物也、騞然而過、隨過隨合、覺疾而不血刃焉。此三寶者、傳之十三世矣、而無施於事。匣而藏之、未嘗啓封。」

新字:孔周曰:「吾有三剣、唯子所択、皆不能殺人、且先言其状。一曰含光、視之不可見、運之不知有。其所触也、泯然無際、経物而物不覚。二曰承影、将旦昧爽之交、日夕昏明之際、北面而察之、淡淡焉若有物存、莫識其状。其所触也、竊竊然有声、経物而物不疾也。三曰宵練、方昼則見影而不見光、方夜見光而不見形。其触物也、騞然而過、随過随合、覚疾而不血刃焉。此三宝者、伝之十三世矣、而無施於事。匣而蔵之、未嘗啓封。」

書き下し

孔周曰く、吾に三劍有り。唯だ子の擇ぶ所なり。皆な人を殺す能わず。且く先ず其の狀を言わん。一に含光と曰う。之を視るも見るべからず、之を運らすも有るを知らず。其の觸るる所や、泯然として際無く、物を經るも物覺えず。二に承影と曰う。將に旦ならんとする昧爽の交、日夕昏明の際、北面して之を察すれば、淡淡焉として物の存する有るが若く、其の狀を識る莫し。其の觸るる所や、竊竊然として聲有り、物を經るも物疾まざるなり。三に宵練と曰う。方に晝なれば則ち影を見て光を見ず、方に夜なれば光を見て形を見ず。其の物に觸るるや、騞然として過ぎ、過ぐるに隨いて隨いて合し、疾みを覺ゆるも刃に血あらず。此の三寶なる者は、之を傳うること十三世なり。而して事に施す無し。匣にして之を藏し、未だ嘗て封を啓かず、と。

現代語訳

孔周は言った。「私には三振りの剣がある。あなたの選ぶままだ。ただしどれも人を殺すことはできない。まずその姿かたちを話そう。一を含光という。見ようとしても見えず、振っても手応えがない。触れたところは、跡かたもなく境目がなく、物を通り抜けても物が気づかない。二を承影という。夜明けの薄明かりのころ、日暮れの明暗の境に、北を向いてよく見れば、うっすらと何かがあるようだが、その形は分からない。触れたところは、かすかな音がして、物を通り抜けても物は痛まない。三を宵練という。昼には影が見えて光が見えず、夜には光が見えて形が見えない。物に触れるときは、ざっと音を立てて通り抜け、通ったそばから傷は閉じ、痛みは感じても刃に血はつかない。この三つの宝は、伝えられて十三代になる。それでいて何かに使ったことがない。箱に納めてしまい込み、一度も封を開けたことがない」。

解説

最強の宝剣が、どれも人を殺せません。しかも十三代のあいだ一度も使われず、封も開けられていない。武器としては完全に無用です。孔周は隠さずそれを先に言いました。使いたい相手に対して、これは目的を果たさないと最初に告げている。誠実というより、正確です。ところが来丹は、それでも借りると言います。相手が用途を満たさないと明言しているのに借りる。ここには、手段が目的に合っているかを確かめないまま動く人間の姿があります。しかもその動機は、もう他に手がないことです。追い詰められた人が藁をつかむ場面が、正確に描かれています。

この章句が説くこと

皆な人を殺す能わず含光・承影・宵練之を伝うること十三世にして事に施す無し

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