列子 / 湯問篇
秦青顧謂其友曰:「昔韓娥東之齊、匱糧、過雍門、鬻歌假食。既去而餘音繞梁欐、三日不絕、左右以其人弗去。過逆旅、逆旅人辱之。韓娥因曼聲哀哭、一里老幼悲愁、垂涕相對、三日不食、遽而追之。娥還、復爲曼聲長歌。一里老幼喜躍抃舞、弗能自禁、忘向之悲也、乃厚賂發之。故雍門之人至今善歌哭、放娥之遺聲。」
新字:秦青顧謂其友曰:「昔韓娥東之斉、匱糧、過雍門、鬻歌仮食。既去而余音繞梁欐、三日不絶、左右以其人弗去。過逆旅、逆旅人辱之。韓娥因曼声哀哭、一里老幼悲愁、垂涕相対、三日不食、遽而追之。娥還、復為曼声長歌。一里老幼喜躍抃舞、弗能自禁、忘向之悲也、乃厚賂発之。故雍門之人至今善歌哭、放娥之遺声。」
書き下し
秦青其の友を顧みて謂いて曰く、昔韓娥東のかた齊に之き、糧匱し、雍門を過ぎ、歌を鬻ぎて食を假る。既に去りて餘音梁欐を繞り、三日絕えず。左右其の人の去らずと以う。逆旅を過ぐるに、逆旅の人之を辱む。韓娥因りて曼聲もて哀哭す。一里の老幼悲愁し、涕を垂れて相い對し、三日食らわず、遽かにして之を追う。娥還り、復た曼聲もて長歌す。一里の老幼喜躍抃舞し、自ら禁ずる能わず、向の悲しみを忘る。乃ち厚く賂して之を發たしむ。故に雍門の人は今に至るまで善く歌哭す。娥の遺聲に放えばなり、と。
現代語訳
秦青は友人を振り返って言った。「昔、韓娥が東の斉へ行ったとき、食糧が尽き、雍門を通りかかって、歌を売って食を得た。立ち去ったあとも、余韻が梁のあいだをめぐり、三日のあいだ絶えなかった。周りの人は、彼女がまだ立ち去っていないのだと思ったほどだ。宿屋に泊まったとき、宿の者が彼女を辱めた。韓娥は長く引く声で悲しげに泣いた。村じゅうの老人も子どもも悲しみに沈み、涙を流して向き合い、三日のあいだ食事ができなかった。あわてて彼女を追いかけた。韓娥が戻ってきて、また長く引く声で歌った。村じゅうの老人も子どもも喜び跳ねて手を打って舞い、自分を抑えられず、さきほどの悲しみを忘れてしまった。そこで手厚く贈り物をして送り出した。だから雍門の人はいまでも歌と哭が上手だ。韓娥が残した声にならったからである」。
解説
この章句が説くこと
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