列子 / 湯問篇
周穆王西巡狩、越崑崙、不至弇山。反還、未及中國、道有獻工人名偃師、穆王薦之、問曰:「若有何能?」偃師曰:「臣唯命所試。然臣已有所造、願王先觀之。」穆王曰:「日以俱來、吾與若俱觀之。」越日偃師謁見王。王薦之、曰:「若與偕來者何人邪?」對曰:「臣之所造能倡者。」穆王驚視之、趣步俯仰、信人也。巧夫顉其頤、則歌合律、捧其手、則舞應節。千變萬化、惟意所適。
新字:周穆王西巡狩、越崑崙、不至弇山。反還、未及中国、道有献工人名偃師、穆王薦之、問曰:「若有何能?」偃師曰:「臣唯命所試。然臣已有所造、願王先観之。」穆王曰:「日以倶来、吾与若倶観之。」越日偃師謁見王。王薦之、曰:「若与偕来者何人邪?」対曰:「臣之所造能倡者。」穆王驚視之、趣歩俯仰、信人也。巧夫顉其頤、則歌合律、捧其手、則舞応節。千変万化、惟意所適。
書き下し
周の穆王西のかた巡狩し、崑崙を越え、弇山に至らず。反り還り、未だ中國に及ばざるに、道に工人を獻ずる有り。名を偃師と曰う。穆王之を薦めて、問いて曰く、若に何の能有るか、と。偃師曰く、臣は唯だ命の試むる所なり。然れども臣已に造る所有り、願わくは王先ず之を觀よ、と。穆王曰く、日を以て俱に來たれ、吾若と俱に之を觀ん、と。日を越えて偃師王に謁見す。王之を薦めて曰く、若と偕に來たる者は何人ぞや、と。對えて曰く、臣の造る所の能く倡う者なり、と。穆王驚きて之を視るに、趣步俯仰、信に人なり。巧夫其の頤を顉かせば、則ち歌は律に合い、其の手を捧ぐれば、則ち舞は節に應ず。千變萬化、惟だ意の適く所なり。
現代語訳
周の穆王が西へ巡狩し、崑崙を越えたが弇山までは行かなかった。引き返して、まだ中原に着かないうちに、道中で職人を献上する者があった。名を偃師という。穆王は彼を進み出させて尋ねた。「そなたにはどんな技があるのか」。偃師は言った。「私はただ、お命じくださることを試すばかりです。ただ、すでに作ったものがございます。まず王にご覧いただきたい」。穆王は言った。「日をあらためて一緒に来なさい。わしはそなたと一緒にそれを見よう」。日をあらためて偃師が王に拝謁した。王は彼を進み出させて言った。「そなたと一緒に来た者は何者か」。偃師は答えた。「私が作った、芸をする者です」。穆王が驚いて見ると、歩き方も身のこなしも、まさしく人である。職人がその顎を動かすと、歌は音律に合い、その手を持ち上げると、舞は拍子に応じた。千変万化して、思いのままである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。