列子 / 湯問篇
楚王聞而異之、召問其故。詹何曰:「臣聞先大夫之言、蒲且子之弋也、弱弓纖繳、乘風振之、連雙鶬於青雲之際。用心專、動手均也。臣因其事、放而學釣、五年始盡其道。當臣之臨河持竿、心無雜慮、唯魚之念、投綸沈鉤、手無輕重、物莫能亂。魚見臣之鉤餌、猶沈埃聚沫、吞之不疑。所以能以弱制彊、以輕致重也。大王治國誠能若此、則天下可運於一握、將亦奚事哉?」楚王曰:「善。」
新字:楚王聞而異之、召問其故。詹何曰:「臣聞先大夫之言、蒲且子之弋也、弱弓繊繳、乗風振之、連双鶬於青雲之際。用心専、動手均也。臣因其事、放而学釣、五年始尽其道。当臣之臨河持竿、心無雑慮、唯魚之念、投綸沈鉤、手無軽重、物莫能乱。魚見臣之鉤餌、猶沈埃聚沫、吞之不疑。所以能以弱制彊、以軽致重也。大王治国誠能若此、則天下可運於一握、将亦奚事哉?」楚王曰:「善。」
書き下し
楚王聞きて之を異とし、召して其の故を問う。詹何曰く、臣先大夫の言を聞けり、蒲且子の弋するや、弱き弓、纖き繳もて、風に乘じて之を振るい、雙鶬を青雲の際に連ぬ。心を用うること專らにして、手を動かすこと均しければなり、と。臣其の事に因り、放いて釣りを學び、五年にして始めて其の道を盡くせり。臣の河に臨みて竿を持するに當たりて、心に雜慮無く、唯だ魚をのみ之れ念う。綸を投じ鉤を沈むるに、手に輕重無く、物の能く亂す莫し。魚は臣の鉤餌を見ること、猶お沈埃聚沫のごとく、之を吞みて疑わず。能く弱を以て彊を制し、輕を以て重を致す所以なり。大王の國を治むること誠に能く此くの若くんば、則ち天下は一握に運らすべし。將た亦た奚をか事とせんや、と。楚王曰く、善し、と。
現代語訳
楚王はこれを聞いて不思議に思い、召し出してそのわけを尋ねた。詹何は言った。「私は亡き父の言葉を聞いております。蒲且子が弓で鳥を射るときは、弱い弓と細い糸を使い、風に乗せてこれを振るい、二羽の鶴を青雲のあいだで一度に射止めた。心の使い方が一つに集まり、手の動かし方が均しかったからだ、と。私はそれにならって釣りを学び、五年たってようやくその道を尽くしました。私が川に臨んで竿を持つとき、心に雑念がなく、ただ魚のことだけを思っています。糸を投げ針を沈めるとき、手に軽重がなく、何ものも乱すことができない。魚は私の針と餌を見ても、沈んだ塵や集まった泡のようにしか見えず、疑わずに飲み込みます。だから弱いもので強いものを制し、軽いもので重いものを引き寄せられるのです。大王が国を治めるのに、まことにこのようになさるなら、天下は片手のうちに動かせましょう。ほかに何をなさる必要がありましょう」。楚王は言った。「よろしい」。
解説
この章句が説くこと
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『列子』湯問篇均は、天下の至理なり。形物に連なるも亦た然り。均しく髮もて均しく縣くるに、輕重ありて髮絕ゆるは、髮の均しからざればなり。均しければ、其の絕ゆるや絕ゆる莫し。人以て然らずと爲すも、自ら其の然るを知る者有るなり。詹何は獨繭の絲を以て綸と爲し、芒鍼を鉤と爲し、荆篠を竿と爲し、粒を剖きて餌と爲す。車に盈つるの魚を百仞の淵、汩流の中より引くも、綸絕えず、鉤伸びず、竿橈まず。
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『列子』説符篇楚の莊王詹何に問いて曰く、國を治むるは柰何、と。詹何對えて曰く、臣は身を治むるに明らかにして國を治むるに明らかならざるなり、と。楚の莊王曰く、寡人宗廟社稷を奉ずるを得たり。願わくは之を守る所以を學ばん、と。詹何對えて曰く、臣未だ嘗て身治まりて國亂るる者を聞かざるなり。又た未だ嘗て身亂れて國治まる者を聞かざるなり。故に本は身に在り。敢えて對うるに末を以てせず、と。楚王曰く、善し、と。
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『列子』楊朱篇楊朱梁王に見え、天下を治むるは諸を掌に運らすが如しと言う。梁王曰く、先生に一妻一妾有るも治むる能わず、三畝の園も芸る能わず。而るに天下を治むるは諸を掌に運らすが如しと言うは、何ぞや、と。對えて曰く、君は其の羊を牧う者を見しか。百羊にして羣す。五尺の童子をして箠を荷いて之に隨わしむれば、東せんと欲すれば東し、西せんと欲すれば西す。堯をして一羊を牽かしめ、舜をして箠を荷いて之に隨わしめば、則ち前む能わざらん。且つ臣之を聞けり、舟を吞むの魚は、枝流に游がず。鴻鵠は高く飛びて、汙池に集まらず、と。何となれば則ち其の極めて遠ければなり。黄鐘大呂は、煩奏の舞に從うべからず。何となれば則ち其の音疏なればなり。將に大なる者を治めんとする者は細を治めず、大功を成す者は小を成さず、と。此の謂いなり、と。
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『列子』湯問篇凡そ御する所の者も、亦た此くの如きなり。曩に汝の行くや、之を足に得て、之を心に應ず。之を御に推すに、轡銜の際に齊輯し、脣吻の和に急緩し、胷臆の中に正度し、掌握の間に執節す。内は中心に得て、外は馬の志に合す。是の故に能く進退繩を履みて旋曲規矩に中たり、道を取りて遠きを致すも氣力餘り有り。誠に其の術を得たるなり。之を銜に得て、之を轡に應じ、之を轡に得て、之を手に應じ、之を手に得て、之を心に應ず。則ち目を以て視ず、策を以て驅らず。心閑かに體正しく、六轡亂れず。而して二十四蹄投ずる所に差う無く、迴旋進退、節に中たらざる莫し。然る後に輿輪の外に餘轍無からしむべく、馬蹄の外に餘地無からしむべし。未だ嘗て山谷の嶮、原隰の夷きを覺えず。之を視ること一なり。吾が術は窮まれり。汝其れ之を識せ、と。
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荘子・応帝王天根(てんこん)殷陽(いんよう)に遊び、蓼水(りょうすい)の上(ほとり)に至り、適(たまた)ま無名人に遭いて焉(これ)に問いて曰く、「請う、天下を為(おさ)むるを問わん」と。無名人曰く、「去れ。汝は鄙人(ひじん)なり。何ぞ問うことの予(たの)しからざるや。予(われ)方(まさ)に将に造物者と人(ぐう)を為さんとす。厭(あ)けば則ち又た夫の莽眇(もうびょう)の鳥に乗じて、以て六極の外に出で、而して無何有(むかゆう)の郷に遊び、以て壙埌(こうろう)の野に処(お)らんとす。汝又た何の帠(げい)ありて、天下を治むるを以て予の心を感ぜしめんとするか」と。又た復(ま)た問う。無名人曰く、「汝、心を淡に遊ばせ、気を漠に合し、物の自然に順いて、私を容るる無くんば、而ち天下治まらん」と。
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