列子 / 湯問篇
均、天下之至理也、連於形物亦然。均髮均縣、輕重而髮絕、髮不均也。均也、其絕也莫絕。人以爲不然、自有知其然者也。詹何以獨繭絲爲綸、芒鍼爲鉤、荆篠爲竿、剖粒爲餌、引盈車之魚於百仞之淵、汩流之中、綸不絕、鉤不伸、竿不橈。
新字:均、天下之至理也、連於形物亦然。均髪均県、軽重而髪絶、髪不均也。均也、其絶也莫絶。人以為不然、自有知其然者也。詹何以独繭糸為綸、芒鍼為鉤、荆篠為竿、剖粒為餌、引盈車之魚於百仞之淵、汩流之中、綸不絶、鉤不伸、竿不橈。
書き下し
均は、天下の至理なり。形物に連なるも亦た然り。均しく髮もて均しく縣くるに、輕重ありて髮絕ゆるは、髮の均しからざればなり。均しければ、其の絕ゆるや絕ゆる莫し。人以て然らずと爲すも、自ら其の然るを知る者有るなり。詹何は獨繭の絲を以て綸と爲し、芒鍼を鉤と爲し、荆篠を竿と爲し、粒を剖きて餌と爲す。車に盈つるの魚を百仞の淵、汩流の中より引くも、綸絕えず、鉤伸びず、竿橈まず。
現代語訳
均しいということは、天下の至高の道理である。形ある物に関わっても、やはりそうだ。同じ髪の毛で同じように吊るしているのに、軽重の差が生じて髪が切れるのは、髪が均しくないからである。均しければ、切れようとしても切れることがない。人はそんなはずはないと思うが、おのずとそうだと知っている者もいる。詹何は一匹の繭からとった糸を釣り糸とし、麦の穂先のような細い針を釣り針とし、細い篠竹を竿とし、米粒を割ったものを餌とした。それで、車一台に満ちるほどの魚を、百仞の淵、渦巻く流れのなかから引き上げたが、釣り糸は切れず、針は伸びず、竿はしなわなかった。
解説
「均」を天下の至理と呼びます。同じ髪の毛で吊るしても、力の掛かり方に偏りがあれば切れる。均しければ切れない。強度ではなく、均しさが破断を決めるという見方です。そして詹何は、繭一匹ぶんの糸で車一台ぶんの魚を釣った。糸を太くしたのではなく、力を均しくした。組織にそのまま置き換えられます。人を増やす、予算を積む、仕組みを厚くする。どれも強度を上げる発想です。しかし壊れる場所はたいてい、力が偏ってかかっている一点です。強くするより、偏りを取るほうが効く。次の段で、詹何がどうやって均しさを作ったかが語られます。
この章句が説くこと
均は天下の至理なり髪の均しからざればなり独繭の糸を以て綸と為す車に盈つるの魚を引く
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