列子 / 湯問篇
越之東有輒沐之國、其長子生、則鮮而食之、謂之宜弟。其大父死、負其大母而棄之、曰:「鬼妻不可以同居處。」楚之南有炎人之國、其親戚死、㱙其肉而棄之、然後埋其骨、迺成爲孝子。秦之西有儀渠之國者、其親戚死、聚祡積而焚之。燻則煙上、謂之登遐、然後成爲孝子。此上以爲政、下以爲俗、而未足爲異也。
新字:越之東有輒沐之国、其長子生、則鮮而食之、謂之宜弟。其大父死、負其大母而棄之、曰:「鬼妻不可以同居処。」楚之南有炎人之国、其親戚死、㱙其肉而棄之、然後埋其骨、迺成為孝子。秦之西有儀渠之国者、其親戚死、聚祡積而焚之。燻則煙上、謂之登遐、然後成為孝子。此上以為政、下以為俗、而未足為異也。
書き下し
越の東に輒沐の國有り。其の長子生まるれば、則ち鮮きて之を食らう。之を弟に宜しと謂う。其の大父死すれば、其の大母を負いて之を棄つ。曰く、鬼の妻は以て同に居處すべからず、と。楚の南に炎人の國有り。其の親戚死すれば、其の肉を㱙して之を棄て、然る後に其の骨を埋む。迺ち孝子と成る。秦の西に儀渠の國なる者有り。其の親戚死すれば、祡を聚め積みて之を焚く。燻れば則ち煙上る。之を登遐と謂う。然る後に孝子と成る。此れ上は以て政と爲し、下は以て俗と爲す。而も未だ異と爲すに足らざるなり。
現代語訳
越の東に輒沐の国がある。長男が生まれると、切り分けて食べる。それが弟のためによいという。祖父が死ぬと、祖母を背負って捨てる。「亡霊の妻とは一緒に住めない」というのだ。楚の南に炎人の国がある。肉親が死ぬと、その肉を腐らせて捨て、そのあとで骨を埋める。それでようやく孝子となる。秦の西に儀渠の国がある。肉親が死ぬと、薪を積み重ねて焼く。いぶれば煙が上る。これを登遐という。そのあとでようやく孝子となる。これらは上の者はそれを政とし、下の者はそれを風習としている。それでいて、取り立てて異とするには足りない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下楚の南に炎人國なる者有り。其の親戚、死すれば、其の肉を朽ちしめて之を棄て、然る後に其の骨を埋め、乃ち成りて孝子と為る。秦の西に儀秉の國なる者有り。其の親戚、死すれば、柴薪を聚めて之を焚き、燻して上らしめ、之を登遐と謂い、然る後に成りて孝子と為る。此れ上は以て政を為し、下は以て俗を為し、為して已まず、操りて擇ばず。則ち此れ豈に實に仁義の道ならんや。此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。若し此の若の三國を以て之を觀れば、則ち亦た猶お薄し。若し中國の君子、之を觀れば、則ち亦た猶お厚し。彼の如きは則ち大いに厚く、此の如きは則ち大いに薄し。然らば則ち葬埋に節有り。
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『墨子』節葬下今、厚葬久喪を執る者、言いて曰く、厚葬久喪、果たして聖王の道に非ずんば、夫れ胡ぞ中國の君子の為して已まず、操りて擇ばざるを説かんや、と。子墨子曰く、此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。昔者、越の東に□沐の國なる者有り。其の長子、生まるれば、則ち解きて之を食らい、之を弟に宜しと謂う。其の大父、死すれば、其の大母を負いて之を棄てて曰く、「鬼の妻とは與に居處す可からず」と。此れ上は以て政を為し、下は以て俗を為し、為して已まず、操りて擇ばず。則ち此れ豈に實に仁義の道ならんや。此れ謂う所の其の習に便じて其の俗を義とする者なり。
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『墨子』魯問魯陽文君、子墨子に語げて曰く、「楚の南に人を啖らう國なる者有り。其の國の長子生まるれば、則ち解きて之を食らう。之を宜弟と謂う。美なれば、則ち以て其の君に遺る。君、喜べば則ち其の父を賞す。豈に惡俗ならずや」と。子墨子曰く、「中國の俗と雖も、亦た猶お是のごときなり。其の父を殺して其の子を賞するは、何を以て其の子を食らいて其の父を賞する者に異ならんや。茍くも仁義を用いずんば、何を以て夷人の其の子を食らうを非とせんや」と。
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『列子』湯問篇南國の人は髮を祝りて裸なり。北國の人は巾を鞨きて裘たり。中國の人は冠冕して裳す。九土の資る所、或いは農し或いは商し、或いは田し或いは漁す。冬の裘・夏の葛、水の舟・陸の車の如し。默して之を得、性として之を成す。
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『墨子』節葬下何を以て其の然るを知るや。今、天下の士君子、將に猶お多く皆な厚葬久喪の是非利害に中たるを疑惑せんとす。故に子墨子言いて曰く、然らば則ち姑く嘗みに之を稽えん。今、厚葬久喪を執る者の言に法り、以て國家に事を為すこと毋しと雖も。此れ王公大人の喪有る者に存りては、曰く、棺槨は必ず重ね、葬埋は必ず厚くし、衣衾は必ず多く、文繡は必ず繁く、丘隴は必ず巨いにす、と。正夫賤人の死する者に存りては、殆ど家室を竭くす。諸侯の死する者に乎いては、庫府を虚しくし、然る後に金玉珠璣、身に比べ、綸組節約し、車馬、壙に蔵む。又た必ず多く屋幕・鼎鼓・几筵・壺濫・戈劍・羽旄・齒革を為り、寢しめて之を埋む。意を滿たすに送從の若きは、曰く、天子は殉を殺すこと、衆きは數百、寡なきは數十。將軍大夫の殉を殺すこと、衆きは數十、寡なきは數人。
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礼記・檀弓上将軍文子の喪に、既に喪を除きて、而る后に越人来り弔う。主人深衣・練冠して、廟に待ち、涕洟(ていい)を垂る。子游これを観て曰く、「将軍文氏の子は其れ庶幾(ちか)からんか。礼に亡(な)き者の礼なり、其の動くや中(あた)れり」と。 幼にして名づけ、冠して字(あざな)し、五十にして伯仲を以てし、死して諡(おくりな)するは、周の道なり。絰(てつ)なる者は、実なり。中霤(ちゅうりゅう)を掘りて浴し、竈(かまど)を毀(こぼ)ちて以て足を綴(つづ)り、葬に及びて、宗を毀ち行を躐(こ)えて、大門より出ずるは、殷の道なり。学者これを行う。
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