列子 / 湯問篇
大禹曰:「六合之間、四海之內、照之以日月、經之以星辰、紀之以四時、要之以太歲。神靈所生、其物異形、或夭或壽、唯聖人能通其道。」夏革曰:「然則亦有不待神靈而生、不待陰陽而形、不待日月而明、不待殺戮而夭、不待將迎而壽、不待五穀而食、不待繒纊而衣、不待舟車而行、其道自然、非聖人之所通也。」
新字:大禹曰:「六合之間、四海之内、照之以日月、経之以星辰、紀之以四時、要之以太歳。神霊所生、其物異形、或夭或寿、唯聖人能通其道。」夏革曰:「然則亦有不待神霊而生、不待陰陽而形、不待日月而明、不待殺戮而夭、不待将迎而寿、不待五穀而食、不待繒纊而衣、不待舟車而行、其道自然、非聖人之所通也。」
書き下し
大禹曰く、六合の間、四海の内、之を照らすに日月を以てし、之を經るに星辰を以てし、之を紀するに四時を以てし、之を要するに太歲を以てす。神靈の生ずる所、其の物は形を異にし、或いは夭く或いは壽し。唯だ聖人のみ能く其の道に通ず、と。夏革曰く、然らば則ち亦た神靈を待たずして生じ、陰陽を待たずして形り、日月を待たずして明らかに、殺戮を待たずして夭く、將迎を待たずして壽く、五穀を待たずして食らい、繒纊を待たずして衣、舟車を待たずして行く者有り。其の道は自然にして、聖人の通ずる所に非ざるなり、と。
現代語訳
大禹は言った。「天地四方のあいだ、四海の内は、日月がこれを照らし、星辰がこれを貫き、四季がこれを区切り、太歳がこれを束ねている。神霊が生み出したもので、その姿かたちはさまざまで、短命なものもあれば長命なものもある。ただ聖人だけがその道理に通じることができる」。夏革は言った。「そうであれば、神霊を待たずに生まれ、陰陽を待たずに形をなし、日月を待たずに明るく、殺されずに早死にし、迎えられずに長生きし、五穀を待たずに食べ、絹や綿を待たずに着て、舟や車を待たずに行くものもあるでしょう。その道は自然であって、聖人が通じられるところではありません」。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・談道・自然を閣起して、只だ個の當然を說く莊・列は道理の原と人為を著け得ざるを見得たり、故に一向に人事を盡くさず。知らず、一に自然に任せば、甚の世界をか成さん。聖人は自然を明らかに知る、卻つて自然を把りて閣起し、只だ個の當然を說きて、那個の自然を聽す。
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