荀子 / 天論篇
列星隨旋,日月遞炤,四時代御,陰陽大化,風雨博施,萬物各得其和以生,各得其養以成,不見其事,而見其功,夫是之謂神。皆知其所以成,莫知其無形,夫是之謂天功。唯聖人為不求知天。
新字:列星随旋,日月逓炤,四時代御,陰陽大化,風雨博施,万物各得其和以生,各得其養以成,不見其事,而見其功,夫是之謂神。皆知其所以成,莫知其無形,夫是之謂天功。唯聖人為不求知天。
書き下し
列星(れっせい)隨(したが)い旋(めぐ)り、日月(じつげつ)遞(たが)いに炤(て)らし、四時代(かわ)る代る御(ぎょ)し、陰陽大いに化し、風雨博(ひろ)く施し、萬物各(おのおの)其の和を得て以て生じ、各其の養を得て以て成る。其の事を見ずして、其の功を見る。夫れ是れを之れ神(しん)と謂う。皆な其の成る所以(ゆえん)を知れども、其の無形なるを知る莫し。夫れ是れを之れ天功と謂う。唯だ聖人のみ天を知らんことを求めずと為す。
現代語訳
星々は連なって巡り、日と月は交互に照らし、四季は入れ替わって支配し、陰陽は大きく移り変わり、風と雨はあまねく行きわたる。万物はそれぞれ調和を得て生まれ、それぞれ養いを得て育っていく。その働いている姿は目に見えないのに、その成果だけが目に見える。これを神妙という。誰もが万物の育つ結果は知っているが、その形なきはたらきそのものは誰も知らない。これを天のはたらき(天功)という。ただ聖人だけが、天そのものを知り尽くそうとはしないのである。
解説
星が巡り、日月が照らし、四季が移り、風雨が行きわたる——その結果として万物が生まれ育つ。ところが、その働きそのものは誰の目にも見えません。見えるのは成果だけです。荀子はこれを「神」「天功」と呼びますが、注意したいのは、これが神秘を拝めという話ではないことです。むしろ逆で、結論は「聖人だけが天を知ろうとしない」。天の仕組みを暴こうと詮索するのは、聖人のすることではないというのです。天の働きは形がなく、人が把握しきれない。ならばそこに労力を注ぐより、目に見える結果とどう付き合うか、人の側の営みをどう整えるかに集中せよ、というのが荀子の一貫した態度です。仕事や人生でも、どうにもならない前提条件の理由探しに時間を溶かすより、その条件の下で自分がどう動くかを設計するほうが、はるかに実りがあります。知り尽くせないものは知り尽くせないものとして扱う——これも一つの知性の使い方です。
この章句が説くこと
天功神妙なはたらき天を知ろうとしない成果に向き合う
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荀子・天論篇天職既に立ち、天功既に成り、形具(そな)わりて神(しん)生じ、好惡(こうお)喜怒哀樂焉(ここ)に臧(かく)る。夫れ是れを之れ天情と謂う。耳目鼻口形能(けいのう)、各(おのおの)接する有りて相能(あいのう)せず。夫れ是れを之れ天官と謂う。心は中虛に居りて、以て五官を治む。夫れ是れを之れ天君と謂う。其の類に非ざるものを財(さい)して以て其の類を養う。夫れ是れを之れ天養と謂う。其の類に順う者、之を福と謂い、其の類に逆らう者、之を禍と謂う。夫れ是れを之れ天政と謂う。其の天君を暗くし、其の天官を亂し、其の天養を棄て、其の天政に逆らい、其の天情に背き、以て天功を喪(うしな)う。夫れ是れを之れ大凶と謂う。聖人は其の天君を清くし、其の天官を正しくし、其の天養を備え、其の天政に順い、其の天情を養い、以て其の天功を全うす。是の如くんば、則ち其の為す所を知り、其の為さざる所を知らん。則ち天地は官(つかさど)られて萬物は役せらる。其の行い曲(つぶさ)に治まり、其の養い曲に適(かな)い、其の生傷つかず。夫れ是れを之れ天を知ると謂う。
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『淮南子』泰族訓天は日月を設け、星辰を列ね、陰陽を調え、四時を張り、日は以て之を暴し、夜は以て之を息わしめ、風は以て之を幹かし、雨露は以て之を濡す。其の物を生ずるや、其の養う所を見ること莫くして物 長ず。其の物を殺すや、其の喪う所を見ること莫くして物 亡ぶ。此れを之れ神明と謂う。聖人 之に象る。故に其の福を起こすや、其の由る所を見ずして福 起こる。其の禍を除くや、其の以てする所を見ずして禍 除かる。之を遠ざくれば則ち邇く、之を延けば則ち疏し。之を稽うるも得ず、之を察するも虛しからず。日に計れば算無く、歲に計れば餘り有り。
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荀子・天論篇星隊(お)ち木鳴りて、國人皆な恐る。曰く、是れ何ぞや、と。曰く、何も無きなり。是れ天地の變、陰陽の化、物の罕(まれ)に至る者なり。之を怪しむは可なり。而れども之を畏るるは非なり。夫れ日月の食有り、風雨の時ならざる、怪星の黨(しばしば)見(あら)わるるは、是れ世として常に之れ有らざるは無し。上(かみ)明らかにして政平らかなれば、則ち是れ並世(へいせい)に起こると雖も、傷(そこな)う無し。上闇(くら)くして政險(けわ)しければ、則ち是れ一(ひと)つとして至る者無しと雖も、益(えき)無し。夫れ星の隊つる、木の鳴るは、是れ天地の變、陰陽の化、物の罕に至る者なり。之を怪しむは可なり。而れども之を畏るるは非なり。
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荀子・天論篇故に大巧(たいこう)は為さざる所に在り、大智は慮らざる所に在り。天に志(し)る所の者は、已(た)だ其の象(しょう)を見(あら)わして以て期(き)すべき者のみ。地に志る所の者は、已だ其の宜(ぎ)を見わして以て息(そだ)つべき者のみ。四時に志る所の者は、已だ其の數(すう)を見わして以て事とすべき者のみ。陰陽に志る所の者は、已だ其の和を見わして以て治むべき者のみ。人を官(かん)して天を守らしめ、而して自らは道を守ることを為すなり。
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荀子・天論篇天を大として之を思うは、物として畜(やしな)いて之を制するに孰与(いずれ)ぞ。天に從いて之を頌(たた)うるは、天命を制して之を用うるに孰与ぞ。時を望みて之を待つは、時に應じて之を使うに孰与ぞ。物に因りて之を多くするは、能を騁(は)せて之を化するに孰与ぞ。物を思いて之を物とするは、物を理(おさ)めて之を失う勿(な)きに孰与ぞ。物の生ずる所以を願うは、物の成る所以を有(たも)つに孰与ぞ。故に人を錯(す)てて天を思えば、則ち萬物の情を失う。
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荀子・天論篇雩(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、佗(た)無きなり。猶(な)お雩せずして雨ふるがごときなり。日月食して之を救い、天旱(ひでり)して雩し、卜筮(ぼくぜい)して然る後に大事を決するは、以て求むるを得んと為すに非ず、以て之を文(かざ)るなり。故に君子は以て文と為し、而して百姓(ひゃくせい)は以て神と為す。以て文と為せば則ち吉、以て神と為せば則ち凶なり。
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