列子 / 湯問篇
湯又問曰:「四海之外奚有?」革曰:「猶齊州也。」湯曰:「汝奚以實之?」革曰:「朕東行至營、人民猶是也。問營之東、復猶營也。西行至豳、人民猶是也。問豳之西、復猶豳也。朕以是知四海、四荒、四極之不異是也。故大小相含、無窮極也。含萬物者、亦如含天地。含萬物也故不窮、含天地也故無極。朕亦焉知天地之表不有大天地者乎?亦吾所不知也。
新字:湯又問曰:「四海之外奚有?」革曰:「猶斉州也。」湯曰:「汝奚以実之?」革曰:「朕東行至営、人民猶是也。問営之東、復猶営也。西行至豳、人民猶是也。問豳之西、復猶豳也。朕以是知四海、四荒、四極之不異是也。故大小相含、無窮極也。含万物者、亦如含天地。含万物也故不窮、含天地也故無極。朕亦焉知天地之表不有大天地者乎?亦吾所不知也。
書き下し
湯又た問いて曰く、四海の外に奚か有る、と。革曰く、猶お齊州のごときなり、と。湯曰く、汝奚を以て之を實とするか、と。革曰く、朕東行して營に至るに、人民猶お是くのごときなり。營の東を問うに、復た營の猶くなり。西行して豳に至るに、人民猶お是くのごときなり。豳の西を問うに、復た豳の猶くなり。朕是を以て四海・四荒・四極の是に異ならざるを知る。故に大小相い含み、窮極無きなり。萬物を含む者は、亦た天地を含むが如し。萬物を含むが故に窮まらず、天地を含むが故に極まり無し。朕も亦た焉んぞ天地の表に大なる天地有らざるを知らんや。亦た吾の知らざる所なり。
現代語訳
湯王はまた尋ねた。「四方の海の外には何があるのか」。夏革は言った。「この中原と同じようなものです」。湯王は言った。「あなたは何をもってそれを確かめたのか」。夏革は言った。「私は東へ行って営に至りましたが、人々はやはりここと同じでした。営の東はどうかと尋ねると、また営と同じだと言う。西へ行って豳に至りましたが、人々はやはり同じでした。豳の西はどうかと尋ねると、また豳と同じだと言う。私はそれによって、四海も四荒も四極も、ここと違わないと知りました。だから大きなものと小さなものは互いに含み合い、きわまるところがない。万物を含むものは、天地を含むのと同じです。万物を含むから窮まらず、天地を含むから極まりがない。私にしても、この天地の外にもっと大きな天地がないと、どうして言えましょう。それもまた私には分かりません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』湯問篇殷の湯曰く、然らば則ち上下八方に極盡有るか、と。革曰く、知らざるなり、と。湯固く問う。革曰く、無なれば則ち極まり無く、有なれば則ち盡くる有り。朕何を以てか之を知らん。然れども極まり無きの外に復た極まり無き無く、盡くる無きの中に復た盡くる無き無し。極まり無くして復た極まり無き無く、盡くる無くして復た盡くる無き無し。朕是を以て其の極まり無く盡くる無きを知る。而して其の極まり有り盡くる有るを知らざるなり、と。
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『列子』湯問篇殷の湯夏革に問いて曰く、古初に物有りしか、と。夏革曰く、古初に物無くんば、今惡んぞ物を得んや。後の人將に今の物無しと謂わんとするも、可ならんか、と。殷の湯曰く、然らば則ち物に先後無きか、と。夏革曰く、物の終始は、初めより極まり無きのみ。始めは或いは終わりと爲り、終わりは或いは始めと爲る。惡んぞ其の紀を知らんや。然れども物の外より、事の先よりは、朕の知らざる所なり、と。
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『列子』湯問篇湯又た問う、物に巨細有るか、修短有るか、同異有るか、と。革曰く、渤海の東、幾億萬里なるかを知らず、大壑有り。實に惟れ底無きの谷、其の下に底無し。名づけて歸墟と曰う。八紘九野の水、天漢の流れ、之に注がざる莫し。而も增す無く減ずる無し。其の中に五山有り。一に岱輿と曰い、二に員嶠と曰い、三に方壺と曰い、四に瀛洲と曰い、五に蓬萊と曰う。其の山の高下周旋は三萬里、其の頂の平らかなる處は九千里。山の中閒相い去ること七萬里、以て鄰居と爲す。其の上の臺觀は皆な金玉、其の上の禽獸は皆な純縞なり。珠玕の樹は皆な叢生し、華實は皆な滋味有り、之を食らえば皆な老いず死せず。居る所の人は皆な仙聖の種なり。一日一夕に飛びて相い往來する者、數うべからず。
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『列子』湯問篇大禹曰く、六合の間、四海の内、之を照らすに日月を以てし、之を經るに星辰を以てし、之を紀するに四時を以てし、之を要するに太歲を以てす。神靈の生ずる所、其の物は形を異にし、或いは夭く或いは壽し。唯だ聖人のみ能く其の道に通ず、と。夏革曰く、然らば則ち亦た神靈を待たずして生じ、陰陽を待たずして形り、日月を待たずして明らかに、殺戮を待たずして夭く、將迎を待たずして壽く、五穀を待たずして食らい、繒纊を待たずして衣、舟車を待たずして行く者有り。其の道は自然にして、聖人の通ずる所に非ざるなり、と。
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荘子・秋水河伯曰く、「然らば則ち吾天地を大とし毫末(ごうまつ)を小とするは可ならんか」と。北海の若曰く、「否。夫れ物は、量に窮まり無く、時に止まり無く、分に常無く、終始に故(もと)無し。是の故に大知は遠近を観る。故に小なるも寡(すく)なしとせず、大なるも多しとせず。量の窮まり無きを知ればなり。今故(こんこ)を証曏(しょうきょう)す。故に遥かなるも悶えず、掇(ちか)きも跂(つまだ)てず。時の止まり無きを知ればなり。盈虚(えいきょ)を察す。故に得るも喜ばず、失うも憂えず。分の常無きを知ればなり。坦塗(たんと)に明らかなり。故に生も説(よろこ)ばず、死も禍とせず。終始の故とすべからざるを知ればなり。人の知る所を計るに、其の知らざる所に若かず。其の生の時は、未だ生ぜざるの時に若かず。其の至小を以て、其の至大の域を窮めんことを求む。是の故に迷乱して自得する能わざるなり。此に由りて之を観れば、又た何を以て毫末の以て至細の倪(きわみ)を定むるに足るを知らんや。又た何を以て天地の以て至大の域を窮むるに足るを知らんや」と。
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『列子』周穆王篇四海の齊しきを中央の國と謂う。河の南北に跨り、岱の東西を越え、萬有餘里なり。其れ陰陽審らかに度らる、故に一たび寒く一たび暑し。昏明の分れ察らかなり、故に一たび晝あり一たび夜あり。其の民に智有り愚有り。萬物滋殖し、才藝多方なり。君臣有りて相い臨み、禮法有りて相い持す。其の云爲する所は稱げ計うべからず。一たび覺め一たび寐ね、以爲えらく覺めて爲す所の者を實とし、夢に見る所の者を妄とす。