列子 / 湯問篇
夸父不量力、欲追日影、逐之於隅谷之際、渴欲得飲、赴飲河渭。河渭不足、將走北飲大澤。未至、道渴而死。棄其杖、尸膏肉所浸、生鄧林、鄧林彌廣數千里焉。
新字:夸父不量力、欲追日影、逐之於隅谷之際、渴欲得飲、赴飲河渭。河渭不足、将走北飲大沢。未至、道渴而死。棄其杖、尸膏肉所浸、生鄧林、鄧林弥広数千里焉。
書き下し
夸父力を量らず、日影を追わんと欲す。之を隅谷の際に逐い、渇して飲を得んと欲し、河渭に赴きて飲む。河渭足らず、將に北のかた走りて大澤に飲まんとす。未だ至らずして、道に渇して死す。其の杖を棄つ。尸の膏肉の浸す所、鄧林を生ず。鄧林は彌々廣きこと數千里なり。
現代語訳
夸父は自分の力を量らず、日の影を追いかけようとした。隅谷のあたりまで追いつめ、喉が渇いて水を飲もうとし、黄河と渭水へ行って飲んだ。黄河と渭水では足りず、北へ走って大きな沼で飲もうとした。着かないうちに、道の途中で渇いて死んだ。その杖を捨てた。亡骸の脂と肉が染み込んだところに、鄧林が生えた。鄧林はますます広がって数千里に及ぶ。
解説
力を量らずに始め、途中で渇いて死ぬ。ここで終われば、無謀を戒める話です。ところが最後の二行が全部をひっくり返します。彼が捨てた杖と、染み込んだ体から森が生え、それが数千里に広がった。目的は達成されず、本人も死んだ。それでも残ったものがある。事業の失敗も、同じ形で残ることがあります。撤退した事業から人が育ち、技術が別の場所で使われ、市場そのものが立ち上がる。当人には見えません。ただし、この話が美談にならないのは、夸父が意図して森を残したのではないからです。残るかどうかは選べない。それでも、力を量って始めなければ、杖すら残りませんでした。
この章句が説くこと
夸父力を量らず日影を追う道に渇して死す其の杖を棄つ鄧林を生ず
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