列子 / 湯問篇
鄰人京城氏之孀妻有遺男、始齔、跳往助之。寒暑易節、始一反焉。河曲智叟笑而止之、曰:「甚矣、汝之不惠!以殘年餘力、曾不能毀山之一毛、其如土石何?」北山愚公長息曰:「汝心之固、固不可徹、曾不若孀妻弱子。雖我之死、有子存焉、子又生孫、孫又生子、子又有子、子又有孫、子子孫孫無窮匱也、而山不加增、何苦而不平?」河曲智叟亡以應。
新字:鄰人京城氏之孀妻有遺男、始齔、跳往助之。寒暑易節、始一反焉。河曲智叟笑而止之、曰:「甚矣、汝之不恵!以残年余力、曽不能毀山之一毛、其如土石何?」北山愚公長息曰:「汝心之固、固不可徹、曽不若孀妻弱子。雖我之死、有子存焉、子又生孫、孫又生子、子又有子、子又有孫、子子孫孫無窮匱也、而山不加增、何苦而不平?」河曲智叟亡以応。
書き下し
鄰人京城氏の孀妻に遺男有り。始めて齔わる。跳りて往きて之を助く。寒暑節を易えて、始めて一たび反る。河曲の智叟笑いて之を止めて曰く、甚だしいかな、汝の惠からざるや。殘年餘力を以てしては、曾ち山の一毛をも毀つ能わず。其れ土石を如何せん、と。北山の愚公長息して曰く、汝の心の固なる、固にして徹すべからず。曾ち孀妻弱子にも若かず。我の死すと雖も、子の存する有り。子は又た孫を生み、孫は又た子を生む。子は又た子有り、子は又た孫有り。子子孫孫窮匱すること無きなり。而して山は加增せず。何ぞ苦しみて平らかならざらんや、と。河曲の智叟以て應うる亡し。
現代語訳
隣人の京城氏の未亡人に、忘れ形見の男の子がいた。ようやく乳歯が抜け替わったばかりである。その子が跳ねるように出かけて手伝った。寒さと暑さが入れ替わるころに、ようやく一度往復した。河曲の智叟が笑って止めて言った。「ひどいものだ、あなたの愚かさは。残りわずかな年と力で、山の毛一本すら削れない。土や石をどうしようというのか」。北山の愚公は長くため息をついて言った。「あなたの心の頑なさは、頑なで突き通せない。あの未亡人の幼い子にも及ばない。私が死んでも、子が残っている。子はまた孫を生み、孫はまた子を生む。子にはまた子があり、子にはまた孫がある。子々孫々きわまり尽きることがない。それなのに山は増えない。どうして平らにならないことがあろうか」。河曲の智叟は返す言葉がなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』湯問篇太行・王屋の二山は、方七百里、高さ萬仞。本と冀州の南、河陽の北に在り。北山の愚公なる者、年且に九十ならんとす。山に面して居り、山北の塞がりて、出入の迂なるを懲り、室を聚めて謀りて曰く、吾汝と力を畢くして險を平らげ、指して豫南に通じ、漢陰に達せんこと、可ならんか、と。雜然として相い許す。其の妻疑いを獻じて曰く、君の力を以てしては、曾ち魁父の丘をも損なう能わず。太行・王屋を如何せん。且つ焉くにか土石を置かん、と。雜りて曰く、諸を渤海の尾、隱土の北に投ぜん、と。遂に子孫の擔を荷う者三夫を率い、石を叩き壤を墾き、箕畚もて渤海の尾に運ぶ。
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『列子』湯問篇蛇を操るの神之を聞き、其の已まざるを懼れ、之を帝に告ぐ。帝其の誠に感じ、夸蛾氏の二子に命じて二山を負わしめ、一つを朔東に厝き、一つを雍南に厝く。此れより、冀の南、漢の陰、隴斷無し。
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説苑・政理齊の桓公、獵に出で、鹿を逐いて山谷の中に走り入る。一老公を見て之に問いて曰く、「是れ何の谷と為すか。」對えて曰く、「愚公の谷と為す。」桓公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「臣を以て之を名づく。」桓公曰く、「今、公の儀狀を視るに、愚人に非ざるなり。何為れぞ公を以て名づくるや。」對えて曰く、「臣、請う之を陳べん。臣、故より牛を畜いて子を生ましめて大ならしむ。之を賣りて駒を買う。少年曰く、『牛は馬を生む能わず。』と。遂に駒を持ちて去る。傍鄰之を聞きて、臣を以て愚と為す。故に此の谷を名づけて愚公の谷と為す。」桓公曰く、「公誠に愚なるかな。夫れ何為れぞ之を與うるや。」桓公遂に歸る。明日朝し、以て管仲に告ぐ。管仲、衿を正して再拜して曰く、「此れ夷吾の愚なり。堯をして上に在らしめ、咎繇をして理たらしめば、安んぞ人の駒を取る者有らんや。若し是くの如き叟の暴かるる有るを見ば、又た必ず與えざらん。公獄訟の正しからざるを知る、故に之を與うるのみ。請う退きて政を修めん。」孔子曰く、「弟子之を記せ。桓公は霸君なり。管仲は賢佐なり。猶お智を以て愚と為す者有り。況んや桓公・管仲に及ばざる者をや。」
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『列子』力命篇齊の景公牛山に游び、北のかた其の國城に臨みて涕を流して曰く、美なるかな國や。鬱鬱芊芊たり。若何ぞ滴滴として此の國を去りて死せんや。古より死する者無からしめば、寡人將に斯を去りて何くにか之かんとする、と。史孔・梁丘據皆な從いて泣きて曰く、臣は君の賜に賴りて、疏食惡肉も得て食らうべく、駑馬稜車も得て乘るべきなり。且つ猶お死を欲せず。而るを況んや吾が君をや、と。晏子獨り旁らに笑う。公涕を雪いて晏子を顧みて曰く、寡人今日の游は悲し。孔と據とは皆な寡人に從いて泣く。子の獨り笑うは、何ぞや、と。
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『列子』湯問篇夸父力を量らず、日影を追わんと欲す。之を隅谷の際に逐い、渇して飲を得んと欲し、河渭に赴きて飲む。河渭足らず、將に北のかた走りて大澤に飲まんとす。未だ至らずして、道に渇して死す。其の杖を棄つ。尸の膏肉の浸す所、鄧林を生ず。鄧林は彌々廣きこと數千里なり。
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『列子』黄帝篇禾生・子伯は范氏の上客なり。出行して坰外を經、田更商丘開の舍に宿る。中夜、禾生・子伯二人相い與に子華の名勢を言う、能く存する者をして亡ぼさしめ、亡ぶる者をして存せしめ、富める者をして貧しからしめ、貧しき者をして富ましむ、と。商丘開先に飢寒に窘しみ、牖の北に潛みて之を聽く。因りて糧を假り畚を荷いて子華の門に之く。子華の門徒は皆な世族なり。縞衣にして軒に乘り、緩步して闊視す。顧みて商丘開の年老い力弱く、面目黎黑にして、衣冠檢べざるを見、之を眲まざる莫し。既にして狎侮欺詒し、攩㧙挨抌して、爲さざる所亡し。商丘開常に慍れる容無く、而して諸客の技單き、戲笑に憊る。