列子 / 湯問篇
然則天地亦物也。物有不足、故昔者女媧氏練五色石以補其闕、斷鼇之足以立四極。其後共工氏與顓頊爭爲帝、怒而觸不周之山、折天柱、絕地維、故天傾西北、日月辰星就焉、地不滿東南、故百川水潦歸焉。」
新字:然則天地亦物也。物有不足、故昔者女媧氏練五色石以補其闕、断鼇之足以立四極。其後共工氏与顓頊争為帝、怒而触不周之山、折天柱、絶地維、故天傾西北、日月辰星就焉、地不満東南、故百川水潦帰焉。」
書き下し
然らば則ち天地も亦た物なり。物に足らざる有り。故に昔者女媧氏五色の石を練りて以て其の闕を補い、鼇の足を斷ちて以て四極を立つ。其の後共工氏顓頊と帝爲らんことを爭い、怒りて不周の山に觸れ、天柱を折り、地維を絕つ。故に天は西北に傾き、日月辰星焉に就く。地は東南に滿たず、故に百川水潦焉に歸す。
現代語訳
であれば、天地もまた一つの物である。物には足りないところがある。だから昔、女媧氏は五色の石を練ってその欠けたところを補い、大亀の足を切り取って四方の柱を立てた。その後、共工氏が顓頊と帝位を争い、怒って不周の山に体当たりし、天の柱を折り、地をつなぐ綱を断ち切った。だから天は西北に傾き、太陽も月も星もそちらへ向かう。地は東南が満たされていない。だから多くの川や雨水はそちらへ集まる。
解説
「天地も亦た物なり、物に足らざる有り」。この二句が要です。天地さえ完全ではなく、補修された跡がある。しかも一度補修したあと、共工氏の一撃でまた壊れ、そのまま傾いたままになっている。日月が西へ向かい、川が東南へ流れるのは、その壊れの結果だ、と。壊れたまま運用されている世界像です。ここには奇妙な安心があります。完全な設計から出発して劣化したのではなく、最初から欠けていて、直しても壊れて、それでも回っている。会社の仕組みも同じです。理想形から劣化したのではなく、はじめから継ぎ接ぎで、それでも動いている。傾きを直そうとするより、傾きを前提に流れを設計するほうが早いことがあります。
この章句が説くこと
天地も亦た物なり物に足らざる有り女媧氏五色の石を練りて其の闕を補う天は西北に傾く
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