列子 / 湯問篇
吳楚之國有大木焉、其名爲櫾、碧樹而冬生、實丹而味酸。食其皮汁、已憤厥之疾。齊州珍之、渡淮而北而化爲枳焉。鸜鵒不踰濟、貉踰汶則死矣、地氣然也。雖然、形氣異也、性鈞已、無相易已。生皆全已、分皆足已、吾何以識其巨細?何以識其修短?何以識其同異哉?」
新字:吳楚之国有大木焉、其名為櫾、碧樹而冬生、実丹而味酸。食其皮汁、已憤厥之疾。斉州珍之、渡淮而北而化為枳焉。鸜鵒不踰済、貉踰汶則死矣、地気然也。雖然、形気異也、性鈞已、無相易已。生皆全已、分皆足已、吾何以識其巨細?何以識其修短?何以識其同異哉?」
書き下し
吳楚の國に大木有り。其の名を櫾と爲す。碧樹にして冬に生じ、實は丹くして味は酸し。其の皮汁を食らえば、憤厥の疾を已やす。齊州之を珍とす。淮を渡りて北すれば化して枳と爲る。鸜鵒は濟を踰えず、貉は汶を踰ゆれば則ち死す。地氣の然らしむるなり。然りと雖も、形氣は異なるなり、性は鈞しきのみ。相い易うる無きのみ。生は皆な全きのみ、分は皆な足るのみ。吾何を以てか其の巨細を識らん。何を以てか其の修短を識らん。何を以てか其の同異を識らんや、と。
現代語訳
呉や楚の国に大きな木がある。名を櫾という。青々とした木で冬に実り、実は赤く味は酸っぱい。その皮の汁を飲めば、気がふさいで倒れる病が治る。中原ではこれを珍重する。ところが淮水を渡って北へ行くと、変じて枳になってしまう。九官鳥は済水を越えず、むじなは汶水を越えれば死ぬ。土地の気がそうさせるのである。とはいえ、形と気が違うだけで、生まれつきの性は等しい。互いに取り替えることができないというだけだ。生はどれも完全であり、分け前はどれも足りている。私にどうして大小が分かりましょう。どうして長短が分かりましょう。どうして同じ違うが分かりましょう」。
解説
長い長い問答の結びです。淮水を渡れば橘が枳になる。土地が変われば同じものが別のものになる。それでも「性は鈞しきのみ」――生まれつきは等しい、違うのは形と気だけだ、と言います。そして最後に、三つの問いすべてに「分からない」と答えて終わる。大小も長短も同異も分からない。ここまで語っておいて、答えは全部保留です。ただし投げ出しているのではありません。直前に「生は皆な全きのみ、分は皆な足るのみ」と置いてあります。どれも完全で、どれも足りている。だから比べる意味がない、という結論です。人材を評価する立場の人には、なかなか手厳しい終わり方です。
この章句が説くこと
淮を渡りて北すれば化して枳と為る地気の然らしむるなり性は鈞しきのみ生は皆な全く分は皆な足る
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