列子 / 湯問篇
而龍伯之國有大人、舉足不盈數步而暨五山之所、一釣而連六鼇、合負而趣歸其國、灼其骨以數焉。於是岱輿員嶠二山流於北極、沈於大海、仙聖之播遷者巨億計。帝憑怒、侵減龍伯之國使阨、侵小龍伯之民使短。至伏羲神農時、其國人猶數十丈。
新字:而竜伯之国有大人、舉足不盈数歩而暨五山之所、一釣而連六鼇、合負而趣帰其国、灼其骨以数焉。於是岱輿員嶠二山流於北極、沈於大海、仙聖之播遷者巨億計。帝憑怒、侵減竜伯之国使阨、侵小竜伯之民使短。至伏羲神農時、其国人猶数十丈。
書き下し
而るに龍伯の國に大人有り。足を舉ぐること數步に盈たずして五山の所に暨ぶ。一釣にして六鼇を連ね、合わせ負いて趣りて其の國に歸り、其の骨を灼きて以て數う。是に於いて岱輿・員嶠の二山は北極に流れ、大海に沈む。仙聖の播遷する者は巨億を計る。帝憑り怒り、龍伯の國を侵減して阨ならしめ、龍伯の民を侵小して短からしむ。伏羲・神農の時に至るも、其の國人猶お數十丈なり。
現代語訳
ところが龍伯の国に巨人がいた。数歩も歩かないうちに五つの山のところへ着いてしまう。一度釣り糸を垂れて六匹の大亀を連ねて釣り上げ、まとめて背負って自分の国へ持ち帰り、その甲羅を焼いて占いに使った。そのため岱輿と員嶠の二つの山は北の果てへ流れ、大海に沈んだ。住まいを失って移り住んだ仙人聖人は億を数える。天帝は激怒し、龍伯の国を削って狭くし、その民を縮めて背を低くした。伏羲や神農の時代になっても、その国の人はなお数十丈あった。
解説
巨人にとっては、ただの釣りでした。六匹釣って持ち帰り、甲羅を焼いて占いに使った。悪意も敵意もありません。その結果、二つの島が沈み、億に及ぶ住民が家を失った。規模の違う存在が、無自覚に振る舞うだけで、こちらの世界が崩れる。この構図は、業界の外から来た巨大企業が、片手間の施策で既存市場を壊していく様子とよく似ています。相手にとってはついでの一手で、こちらにとっては存亡です。そして天帝が下した罰は、巨人を滅ぼすことではなく、国を狭め、背を縮めることでした。規模そのものを削っている。それでもなお数十丈あった、という結びが効いています。
この章句が説くこと
竜伯の国に大人有り一釣にして六鼇を連ぬ岱輿員嶠の二山は大海に沈む
関連する章句
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