列子 / 湯問篇
而五山之根無所連箸、常隨潮波上下往還、不得蹔峙焉。仙聖毒之、訴之於帝。帝恐流於西極、失羣仙聖之居、乃命禺彊使巨鼇十五舉首而戴之。迭爲三番、六萬歲一交焉。五山始峙而不動。
新字:而五山之根無所連箸、常随潮波上下往還、不得蹔峙焉。仙聖毒之、訴之於帝。帝恐流於西極、失羣仙聖之居、乃命禺彊使巨鼇十五舉首而戴之。迭為三番、六万歳一交焉。五山始峙而不動。
書き下し
而るに五山の根は連箸する所無く、常に潮波に隨いて上下往還し、蹔くも峙つを得ず。仙聖之を毒とし、之を帝に訴う。帝西極に流れて、羣仙聖の居を失わんことを恐れ、乃ち禺彊に命じて巨鼇十五をして首を舉げて之を戴かしむ。迭いに三番と爲り、六萬歲に一たび交わる。五山始めて峙ちて動かず。
現代語訳
ところが五つの山の根はどこにもつながっておらず、いつも潮の波にしたがって上がり下がりし、しばらくも静止していられなかった。仙人聖人たちはこれを苦にして、天帝に訴えた。天帝は山が西の果てへ流れていって、多くの仙人聖人の住まいが失われることを恐れ、そこで禺彊に命じて、十五匹の大亀に頭を上げて山を支えさせた。三交代で入れ替わり、六万年に一度交替する。五つの山ははじめてそびえ立って動かなくなった。
解説
仙人の島が漂って落ち着かないので、大亀十五匹が頭で支える。三交代制で、六万年に一度シフトが変わる。壮大な神話に、突然きわめて実務的な運用設計が入り込むところが、この一節の妙味です。恒久的に見える安定が、実は交代要員つきの当番で維持されている。組織の安定も、たいてい同じ構造です。動かないように見えるものの下で、誰かが頭を上げて支えている。しかもその当番は見えません。次の段で、この十五匹のうち六匹が一度に釣り上げられ、二つの島が沈みます。支えている仕組みが見えていないことの危うさが、そこで露わになります。
この章句が説くこと
五山の根は連箸する所無し巨鼇十五をして首を舉げて之を戴かしむ六万歳に一たび交わる
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