列子 / 黄帝篇
列姑射山在海河洲中、山上有神人焉、吸風飲露、不食五穀、心如淵泉、形如處女、不偎不愛、仙聖爲之臣、不畏不怒、愿慤爲之使、不施不惠、而物自足、不聚不歛、而己無愆。陰陽常調、日月常明、四時常若、風雨常均、字育常時、年穀常豐、而土無札傷、人無夭惡、物無疵厲、鬼無靈響焉。
新字:列姑射山在海河洲中、山上有神人焉、吸風飲露、不食五穀、心如淵泉、形如処女、不偎不愛、仙聖為之臣、不畏不怒、愿慤為之使、不施不恵、而物自足、不聚不歛、而己無愆。陰陽常調、日月常明、四時常若、風雨常均、字育常時、年穀常豊、而土無札傷、人無夭悪、物無疵厲、鬼無霊響焉。
書き下し
列姑射山は海河の洲中に在り。山上に神人有り。風を吸い露を飲み、五穀を食らわず。心は淵泉の如く、形は處女の如し。偎まず愛せずして、仙聖之が臣と爲り、畏れず怒らずして、愿慤之が使と爲り、施さず惠まずして、物おのずから足り、聚めず歛めずして、己に愆ち無し。陰陽常に調い、日月常に明らかに、四時常に若く、風雨常に均しく、字育常に時あり、年穀常に豐かにして、土に札傷無く、人に夭惡無く、物に疵厲無く、鬼に靈響無し。
現代語訳
列姑射の山は海と河の中州にある。山の上に神人がいて、風を吸い露を飲み、五穀を食べない。心は深い泉のようで、姿は乙女のようだ。えこひいきもせず可愛がりもしないのに、仙人や聖人がその臣下となり、脅しもせず怒りもしないのに、実直な者たちがその使いとなり、施しもせず恵みもしないのに、物はおのずから足り、集めも取り立てもしないのに、自分に不足がない。陰陽はいつもととのい、日月はいつも明るく、四季はいつも順当で、風雨はいつも均しく、生き物はいつも時どおりに育ち、穀物はいつも豊かに実り、土地に疫病の害がなく、人に若死にや災いがなく、物に傷みがなく、死者の霊がさわぐこともない。
解説
人を動かす手段が四つ、ことごとく否定されます。可愛がることでも、脅すことでも、施すことでも、集めることでもない。それらを一つも使わずに、臣下が集まり、物が足りている。管理職が部下を動かすために持っている道具は、たいていこの四つのどれかです。目をかける、締める、与える、握る。この段は、その四つを全部外したときに何が残るかを問うています。答えは書かれていませんが、直前の華胥氏の国と同じ答えでしょう。何もしていないのではなく、状態そのものが働いている。理想論に見えますが、実際に強い組織では、社長が特別なことをしていない期間ほどよく回ります。
この章句が説くこと
施さず恵まずして物おのずから足る偎まず愛せず聚めず歛めず列姑射山
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