列子 / 天瑞篇
長廬子聞而笑之曰:「虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積氣之成乎天者也。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者也。知積氣也、知積塊也、奚謂不壞?夫天地、空中之一細物、有中之最巨者。難終難窮、此固然矣、難測難識、此固然矣。憂其壞者、誠爲大遠、言其不壞者、亦爲未是。天地不得不壞、則會歸於壞。遇其壞時、奚爲不憂哉?」
新字:長廬子聞而笑之曰:「虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積気之成乎天者也。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者也。知積気也、知積塊也、奚謂不壊?夫天地、空中之一細物、有中之最巨者。難終難窮、此固然矣、難測難識、此固然矣。憂其壊者、誠為大遠、言其不壊者、亦為未是。天地不得不壊、則会帰於壊。遇其壊時、奚為不憂哉?」
書き下し
長廬子聞きて之を笑いて曰く、虹蜺なり、雲霧なり、風雨なり、四時なり、此れ積氣の天に成る者なり。山岳なり、河海なり、金石なり、火木なり、此れ積形の地に成る者なり。積氣なるを知り、積塊なるを知る。奚ぞ壞れずと謂わんや。夫れ天地は、空中の一細物、有中の最巨なる者なり。終わり難く窮め難きは、此れ固より然り。測り難く識り難きは、此れ固より然り。其の壞るるを憂うる者は、誠に大いに遠しと爲す。其の壞れずと言う者も、亦た未だ是ならずと爲す。天地は壞れざるを得ざれば、則ち會ず壞るるに歸せん。其の壞るる時に遇わば、奚爲れぞ憂えざらんや、と。
現代語訳
長廬子はこれを聞いて笑って言った。「虹も、雲や霧も、風雨も、四季も、これは積もった気が天として成ったものだ。山も、川や海も、金属や石も、火や木も、これは積もった形が地として成ったものだ。積もった気だと知り、積もった塊だと知っている。ならばどうして壊れないと言えるのか。そもそも天地は、空のなかの一つの細かな物であり、有るもののなかで最も巨大なものだ。終わりにくく極めにくいのは、もとよりそのとおり。測りにくく知りにくいのも、もとよりそのとおり。その壊れることを心配するのは、たしかにあまりに先の話だ。だが壊れないと言うのも、また正しくはない。天地が壊れずにいられないのであれば、いつかは必ず壊れるところへ行き着く。その壊れる時に出会えば、どうして心配せずにいられようか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』天瑞篇子列子聞きて笑いて曰く、天地壞ると言う者も亦た謬れり、天地壞れずと言う者も亦た謬れり。壞ると壞れざるとは、吾の知る能わざる所なり。然りと雖も、彼も一なり、此も一なり。故に生は死を知らず、死は生を知らず、來は去るを知らず、去は來るを知らず。壞ると壞れざると、吾何ぞ心を容れんや、と。
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『列子』天瑞篇杞國に人有り、天地の崩墜して身の寄する所亡きを憂え、寢食を廢する者あり。又た彼の憂うる所を憂うる者有り、因りて往きて之を曉して曰く、天は積氣のみ、處として氣亡きは亡し。若が屈伸呼吸、終日天中に在りて行止す。奈何ぞ崩墜を憂えんや、と。其の人曰く、天果たして積氣ならば、日月星宿は、當に墜つべからざるか、と。之を曉す者曰く、日月星宿も、亦た積氣の中の光耀有る者なり。只使い墜つるとも、亦た中傷する所有る能わず、と。其の人曰く、地の壞るるを奈何せん、と。曉す者曰く、地は積塊のみ、四虛に充塞し、處として塊亡きは亡し。若が躇步跐蹈、終日地上に在りて行止す。奈何ぞ其の壞るるを憂えんや、と。其の人舍然として大いに喜び、之を曉す者も亦た舍然として大いに喜ぶ。
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『列子』天瑞篇粥熊曰く、運轉して已むこと亡く、天地は密かに移る。疇か之を覺らんや。故に物の彼に損する者は此に盈ち、此に成る者は彼に虧く。損盈成虧は、世に隨いて死に隨う。往來相い接し、間は省すべからず。疇か之を覺らんや。凡そ一氣は頓かに進まず、一形は頓かに虧けず。亦た其の成るを覺えず、亦た其の虧くるを覺えず。亦た人の世より老に至るまで、貌色智態、日として異ならざる亡く、皮膚爪髮、世に隨いて落つるが如し。嬰孩の時に停まりて易わらざるに非ざるなり。間は覺るべからず、後に至るを俟ちて知る、と。
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『列子』湯問篇然らば則ち天地も亦た物なり。物に足らざる有り。故に昔者女媧氏五色の石を練りて以て其の闕を補い、鼇の足を斷ちて以て四極を立つ。其の後共工氏顓頊と帝爲らんことを爭い、怒りて不周の山に觸れ、天柱を折り、地維を絕つ。故に天は西北に傾き、日月辰星焉に就く。地は東南に滿たず、故に百川水潦焉に歸す。
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『列子』天瑞篇子列子曰く、天地に全功無く、聖人に全能無く、萬物に全用無し。故に天は生覆を職とし、地は形載を職とし、聖は教化を職とし、物は宜しき所を職とす。然らば則ち天に短なる所有り、地に長なる所有り、聖に否なる所有り、物に通ずる所有り。何となれば則ち、生覆する者は形載する能わず、形載する者は教化する能わず、教化する者は宜しき所に違う能わず、宜しき定まる者は其の位を出でず。故に天地の道は、陰に非ざれば則ち陽、聖人の教は、仁に非ざれば則ち義、萬物の宜は、柔に非ざれば則ち剛なり。此れ皆宜しき所に隨いて其の位を出づる能わざる者なり。
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『列子』天瑞篇其の言に曰く、生ずる有り生ぜざる有り、化する有り化せざる有り。生ぜざる者は能く生を生じ、化せざる者は能く化を化す。生ずる者は生ぜざる能わず、化する者は化せざる能わず。故に常に生じ常に化す。常に生じ常に化する者は、時として生ぜざる無く、時として化せざる無し。陰陽のみ、四時のみ。生ぜざる者は疑獨、化せざる者は往復す。往復すれば、其の際は終うべからず。疑獨なれば、其の道は窮むべからず。黄帝書に曰く、谷神は死せず、是を玄牝と謂う。玄牝の門、是を天地の根と謂う。綿綿として存するが若く、之を用いて勤きず、と。故に物を生ずる者は生ぜず、物を化する者は化せず。自ら生じ自ら化し、自ら形り自ら色どり、自ら智あり自ら力あり、自ら消え自ら息う。之を生化形色智力消息せしむる者と謂うは、非なり。