列子 / 仲尼篇
堯治天下五十年、不知天下治歟、不治歟、不知億兆之願戴己歟、不願戴己歟、顧問左右、左右不知、問外朝、外朝不知、問在野、在野不知。堯乃微服游於康衢、聞兒童謠曰:「立我蒸民、莫匪爾極。不識不知、順帝之則。」堯喜問曰:「誰教爾爲此言?」童兒曰:「我聞之大夫。」問大夫、大夫曰:「古詩也。」堯還宮、召舜、因禪以天下。舜不辭而受之。
新字:堯治天下五十年、不知天下治歟、不治歟、不知億兆之願戴己歟、不願戴己歟、顧問左右、左右不知、問外朝、外朝不知、問在野、在野不知。堯乃微服游於康衢、聞児童謡曰:「立我蒸民、莫匪爾極。不識不知、順帝之則。」堯喜問曰:「誰教爾為此言?」童児曰:「我聞之大夫。」問大夫、大夫曰:「古詩也。」堯還宮、召舜、因禅以天下。舜不辞而受之。
書き下し
堯天下を治むること五十年。天下治まるか、治まらざるかを知らず、億兆の己を戴くを願うか、己を戴くを願わざるかを知らず。左右を顧問するに、左右知らず。外朝に問うに、外朝知らず。在野に問うに、在野知らず。堯乃ち微服して康衢に游ぶ。兒童の謠いて曰く、我が蒸民を立つるは、爾の極に匪ざる莫し。識らず知らず、帝の則に順う、と言うを聞く。堯喜びて問いて曰く、誰か爾に教えて此の言を爲さしむるか、と。童兒曰く、我之を大夫に聞けり、と。大夫に問うに、大夫曰く、古詩なり、と。堯宮に還り、舜を召し、因りて禪るに天下を以てす。舜辭せずして之を受く。
現代語訳
堯は天下を治めて五十年になった。天下が治まっているのか治まっていないのか分からず、万民が自分を戴きたいと思っているのかいないのかも分からなかった。側近たちに尋ねたが、側近たちは分からない。朝廷の外の役人に尋ねたが、分からない。在野に尋ねたが、分からない。そこで堯は身をやつして大通りに出た。子どもたちが歌っているのを聞いた。「われら民が立っていられるのは、みなあなたの徳のおかげ。それと知らず気づかずに、帝の定めに従っている」。堯は喜んで尋ねた。「誰がお前たちにこの言葉を教えたのか」。子どもは言った。「大夫から聞きました」。大夫に尋ねると、大夫は言った。「古い詩です」。堯は宮殿に戻り、舜を呼んで、天下を譲った。舜は辞退せずにそれを受けた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・正論篇国を擅(ゆず)ること有るも、天下を擅ること無きは、古今一なり。夫の「堯舜擅讓す」と曰うは、是れ虚言なり。是れ浅き者の伝、陋(いや)しき者の説なり。逆順の理、小大・至不至の変を知らざる者なり。未だ与に天下の大理に及ぶべからざるなり。
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説苑・至公秦の始皇帝既に天下を吞み、乃ち群臣を召して議して曰く、「古は五帝賢に禪り、三王世々繼ぐ、孰か是なる。將に之を為さんとす」と。博士七十人未だ對えず。鮑白令之對えて曰く、「天下を官とすれば、則ち賢に讓るは是なり。天下を家とすれば、則ち世々繼ぐは是なり。故に五帝は天下を以て官と為し、三王は天下を以て家と為す」と。秦の始皇帝天を仰ぎて歎じて曰く、「吾が德五帝より出づ、吾將に天下を官とせんとす、誰か我に代わりて後を為さしむべき者ぞ」と。鮑白令之對えて曰く、「陛下桀紂の道を行いて、五帝の禪を為さんと欲す、陛下の能く行う所に非ざるなり」と。秦の始皇帝大いに怒りて曰く、「令之前め、若何を以て我桀紂の道を行うと言うか。趣かに之を説け、解せずんば則ち死せん」と。令之對えて曰く、「臣請う之を說かん。陛下臺を築くこと雲を干し、宮殿五里、千石の鐘を建て、萬石の虡、婦女連なること百、倡優累なること千、驪山の宮室を興作して雍に至るまで、相繼ぎて絕えず、自ら奉ずる所以は、天下を殫くし、民力を竭くし、偏駮して自ら私し、以て人に及ぼす能わず、陛下は所謂自營にして僅かに存する主なり。何ぞ暇あって五帝に德を比し、天下を官とせんと欲せんや」と。始皇闇然として以て之に應うる無し、面に慚色有り。之を久しくして曰く、「令之の言、乃ち眾をして我を醜まらしむ」と。遂に謀を罷め、禪の意無きなり。
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荀子・正論篇世俗の説を為す者曰く、堯舜は擅譲せり、と。是れ然らず。天子なる者は、埶位至尊にして、天下に敵無し。夫れ誰と与にか譲ること有らんや。道徳純備し、智恵甚だ明らかに、南面して天下を聴き、生民の属、震動従服して以て之に化順せざるは莫し。天下に隠士無く、遺善無し。焉に同じき者は是なり、焉に異なる者は非なり。夫れ悪くんぞ天下を擅ること有らんや。
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呂氏春秋・貴生②堯、天下を以て子州支父に讓らんとす。子州支父對えて曰く、「我を以て天子と為すは猶ほ可なり。然りと雖ども、我適々幽憂の病有り、方に將に之を治めんとす。未だ天下を在むるに暇あらず。」天下は重物なり、而るに以て其の生を害せず。又況んや它物に於いてをや。惟だ天下を以て其の生を害せざる者や、以て天下を託す可し。
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説苑・至公書に曰く、「偏せず黨せず、王道蕩蕩たり」と。至公を言うなり。古に大公を行う者有り、帝堯是れなり。貴きこと天子と為り、富むこと天下を有つも、舜を得て之に傳え、其の子孫を私せず。天下を去ること遺つが若く、天下に於て猶然たり、況んや其の天下より細なるをや。帝堯に非ずんば孰か能く之を行わん。孔子曰く、「巍巍乎たり!惟れ天を大と為し、惟れ堯之に則る」と。易に曰く、「首無くして、吉なり」と。此れ蓋し人君の至公なり。夫れ公を以て天下に與うれば、其の德大なり。之を此に推し、之を彼に刑せば、萬姓の戴く所、後世の則る所なり。彼の人臣の公なるは、官事を治むれば則ち私家を營まず、公門に在れば則ち貨利を言わず、公法に當たれば則ち親戚に阿らず、公を奉じて賢を舉ぐれば則ち仇讎を避けず、事君に忠に、利下に仁に、之を推すに恕道を以てし、之を行うに不黨を以てす、伊呂是れなり。故に顯名今に存す、是を之れ公と謂う。詩に云う、「周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、君子の履む所、小人の視る所」と。此を之れ謂うなり。夫れ公は明を生じ、偏は暗を生じ、端愨は達を生じ、詐偽は塞を生じ、誠信は神を生じ、夸誕は惑を生ず、此の六者は、君子の愼む所なり、而して禹桀の分かるる所以なり。詩に云う、「疾威なる上帝、其の命多く僻なり」と。不公を言うなり。
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呂氏春秋・去私③堯に子十人有り、其の子に與えずして舜に授く。舜に子九人有り、其の子に與えずして禹に授く。至公なり。