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列子 / 仲尼篇

子列子既師壺丘子林、友伯昏瞀人、乃居南郭。從之處者、日數而不及。雖然、子列子亦微焉。朝朝相與辯、無不聞。而與南郭子連牆二十年、不相謁請、相遇於道、目若不相見者。門之徒役以爲子列子與南郭子有敵不疑。有自楚來者、問子列子曰:「先生與南郭子奚敵?」子列子曰:「南郭子貌充心虛、耳無聞、目無見、口無言、心無知、形無惕。往將奚爲?雖然、試與汝偕往。」閱弟子四十人同行。見南郭子、果若欺魄焉、而不可與接。顧視子列子、形神不相偶、而不可與羣。南郭子俄而指子列子之弟子末行者與言、衎衎然若專直而在雄者。子列子之徒駭之、反舍、咸有疑色。

新字:子列子既師壺丘子林、友伯昏瞀人、乃居南郭。従之処者、日数而不及。雖然、子列子亦微焉。朝朝相与弁、無不聞。而与南郭子連牆二十年、不相謁請、相遇於道、目若不相見者。門之徒役以為子列子与南郭子有敵不疑。有自楚来者、問子列子曰:「先生与南郭子奚敵?」子列子曰:「南郭子貌充心虚、耳無聞、目無見、口無言、心無知、形無惕。往将奚為?雖然、試与汝偕往。」閱弟子四十人同行。見南郭子、果若欺魄焉、而不可与接。顧視子列子、形神不相偶、而不可与羣。南郭子俄而指子列子之弟子末行者与言、衎衎然若専直而在雄者。子列子之徒駭之、反舎、咸有疑色。

書き下し

子列子既に壺丘子林を師とし、伯昏瞀人を友とし、乃ち南郭に居る。之に從いて處る者、日々に數えて及ばず。然りと雖も、子列子も亦た微なり。朝朝に相い與に辯じ、聞こえざる無し。而して南郭子と牆を連ぬること二十年、相い謁請せず。道に相い遇うも、目は相い見ざる者の若し。門の徒役は、子列子と南郭子と敵有りと以爲いて疑わず。楚より來たる者有り、子列子に問いて曰く、先生と南郭子とは奚ぞ敵するか、と。子列子曰く、南郭子は貌充ちて心虛なり。耳に聞くこと無く、目に見ること無く、口に言うこと無く、心に知ること無く、形に惕るること無し。往きて將た奚をか爲さん。然りと雖も、試みに汝と偕に往かん、と。弟子四十人を閱べて同に行く。南郭子に見ゆるに、果たして欺魄の若く、而も與に接すべからず。子列子を顧み視るに、形神相い偶わず、而も與に羣すべからず。南郭子俄かに子列子の弟子の末行なる者を指して與に言う。衎衎然として專直にして雄に在る者の若し。子列子の徒之に駭き、舍に反りて、咸な疑色有り。

現代語訳

列子は壺丘子林を師とし、伯昏瞀人を友として、南郭に住んだ。彼のもとに集まる者は、日々数えきれないほどだった。とはいえ列子もまた目立たない人だった。毎朝ともに議論し、聞こえないことはなかった。ところが南郭子とは壁を接して二十年住みながら、互いに訪問し合わなかった。道で行き会っても、目は互いに見えていないかのようだった。門下の者たちは、列子と南郭子は仲が悪いのだと思い込んで疑わなかった。楚から来た者がいて、列子に尋ねた。「先生と南郭子は、どうして敵対しておられるのですか」。列子は言った。「南郭子は姿は充実しているが心は虚である。耳に聞くことがなく、目に見ることがなく、口に言うことがなく、心に知ることがなく、体に恐れることがない。行って何をしようというのか。とはいえ、ためしにあなたと一緒に行ってみよう」。弟子四十人を選んで一緒に出かけた。南郭子に会ってみると、はたして土人形のようで、言葉を交わすこともできない。列子のほうを振り返って見ると、姿と精神が噛み合っておらず、仲間として交われそうにない。南郭子は不意に、列子の弟子の末席にいる者を指して話しかけた。にこやかで、まっすぐで、堂々としている。列子の門人たちは驚き、宿に帰ってからも、みな腑に落ちない顔をしていた。

解説

壁一枚隔てて二十年、訪ね合わず、道で会っても見えないかのよう。周囲は当然、仲が悪いのだと思いました。ところが列子の説明は敵意とはまったく関係がない。「往きて將た奚をか爲さん」――行って何をしようというのか、と。用がないから行かない、それだけです。関係が無いことを、人はたいてい不和として解釈します。組織のなかで交流のない二つの部署を見て、対立していると考える。実際には、必要がないだけかもしれません。そして南郭子は、列子ではなく末席の弟子に話しかけました。序列を無視した振る舞いに門人たちは動揺します。次の段で列子が説明しますが、その説明もまた、彼らを納得させません。

この章句が説くこと

牆を連ぬること二十年相い謁請せず貌充ちて心虚なり往きて将た奚をか為さん

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