列子 / 天瑞篇
子列子居鄭圃、四十年人無識者。國君卿大夫眎之、猶衆庶也。國不足、將嫁於衛。弟子曰:「先生往無反期、弟子敢有所謁、先生將何以教?先生不聞壺丘子林之言乎?」子列子笑曰:「壺子何言哉?雖然、夫子嘗語伯昏瞀人。吾側聞之、試以告女。
新字:子列子居鄭圃、四十年人無識者。国君卿大夫眎之、猶衆庶也。国不足、将嫁於衛。弟子曰:「先生往無反期、弟子敢有所謁、先生将何以教?先生不聞壺丘子林之言乎?」子列子笑曰:「壺子何言哉?雖然、夫子嘗語伯昏瞀人。吾側聞之、試以告女。
書き下し
子列子鄭圃に居ること四十年、人識る者無し。國君・卿大夫の之を眎ること、猶お衆庶のごときなり。國足らず、將に衛に嫁がんとす。弟子曰く、先生往きて反る期無し、弟子敢えて謁する所有り、先生將に何を以て教えんとする。先生は壺丘子林の言を聞かざるか、と。子列子笑いて曰く、壺子何をか言わんや。然りと雖も、夫子嘗て伯昏瞀人に語れり。吾側らにして之を聞く、試みに以て女に告げん。
現代語訳
列子は鄭の圃田に四十年住んだが、彼が何者かを知る者はいなかった。君主も大臣も、彼を庶民の一人としか見ていなかった。国が飢饉になり、衛へ移ろうとしたとき、弟子が言った。「先生は行ったきり、いつ帰るとも決まっていません。思いきってお願いします。先生は何を教えてくださるのですか。先生は師の壺丘子林先生のお言葉をお聞きになっていないのですか」。列子は笑って言った。「壺子が何を言ったというのか。とはいえ先生はかつて伯昏瞀人に語られたことがある。私はそばでそれを聞いた。ためしにお前に伝えよう」。
解説
『列子』はこの場面から始まります。四十年やって誰にも気づかれない。君主にも大臣にも、その辺の庶民と同じにしか見えない。書物の冒頭に置くには、あまりに地味な自己紹介です。しかしこれは失敗談ではありません。人に識られないままでいられることそのものが、この書の説く境地の証しとして置かれています。そして弟子が問うのは、飢饉で先生が去るという、もう後がない場面でだけです。平時には誰も聞きに来なかった。人が本当に学ぼうとするのは、たいてい遅すぎるほど遅い。列子は責めずに笑って、自分の言葉ではなく師から聞いた言葉を伝えます。自分の名で語らない人が、四十年識られなかった。順序は逆ではありません。
この章句が説くこと
人識る者無し猶お衆庶のごとし壺丘子林無名でいること
関連する章句
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『列子』仲尼篇子列子既に壺丘子林を師とし、伯昏瞀人を友とし、乃ち南郭に居る。之に從いて處る者、日々に數えて及ばず。然りと雖も、子列子も亦た微なり。朝朝に相い與に辯じ、聞こえざる無し。而して南郭子と牆を連ぬること二十年、相い謁請せず。道に相い遇うも、目は相い見ざる者の若し。門の徒役は、子列子と南郭子と敵有りと以爲いて疑わず。楚より來たる者有り、子列子に問いて曰く、先生と南郭子とは奚ぞ敵するか、と。子列子曰く、南郭子は貌充ちて心虛なり。耳に聞くこと無く、目に見ること無く、口に言うこと無く、心に知ること無く、形に惕るること無し。往きて將た奚をか爲さん。然りと雖も、試みに汝と偕に往かん、と。弟子四十人を閱べて同に行く。南郭子に見ゆるに、果たして欺魄の若く、而も與に接すべからず。子列子を顧み視るに、形神相い偶わず、而も與に羣すべからず。南郭子俄かに子列子の弟子の末行なる者を指して與に言う。衎衎然として專直にして雄に在る者の若し。子列子の徒之に駭き、舍に反りて、咸な疑色有り。
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『列子』黄帝篇列子は老商氏を師とし、伯高子を友とし、二子の道を進めて、風に乘りて歸る。尹生之を聞き、列子に從いて居ること、數月にして舍を省みず。閒に因りて其の術を蘄うことを請うこと、十たび反りて十たび告げられず。尹生懟みて辭せんことを請う。列子又た命ぜず。尹生退く。數月、意已まず、又た往きて之に從う。列子曰く、汝何ぞ去來の頻りなる、と。尹生曰く、曩に章戴子に請う有るに、子我に告げず。固より子に憾み有り。今復た脫然たり、是を以て又た來れり、と。
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『列子』黄帝篇嘗た又た與に來たれ、と。明日、又た之と壺子に見ゆ。立ちて未だ定まらざるに、自失して走る。壺子曰く、之を追え、と。列子之を追えども及ばず。反りて以て壺子に報じて曰く、已に滅せり、已に失せり、吾及ばざるなり、と。壺子曰く、向に吾之に示すに未だ始めより吾が宗を出でざるを以てす。吾之と虛にして猗移す。其の誰なるかを知らず、因りて以て茅靡と爲し、因りて以て波流と爲す。故に逃げたるなり、と。然る後に列子自ら以爲えらく未だ始めより學ばずと、而して歸り、三年出でず。其の妻の爲に爨ぎ、狶を食わすこと人を食わすが如し。事に於いて親しむ無く、雕瑑して朴に復る。塊然として獨り其の形を以て立ち、㤋然として封戎す。壹に是を以て終わる。
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荘子・応帝王鄭に神巫(しんぷ)有り、季咸(きかん)と曰う。人の生死存亡、禍福寿夭(かふくじゅよう)を知り、期するに歳月旬日(さいげつじゅんじつ)を以てす。神の若し。鄭人之を見れば、皆な棄てて走る。列子之を見て心酔し、帰りて以て壺子(こし)に告げて曰く、「始め吾夫子の道を以て至れりと為せり。則ち又た至れる者有り」と。壺子曰く、「吾汝と既に其の文を尽くすも、未だ其の実を尽くさず。而(すなわ)ち固(まこと)に道を得たるか。衆(おお)くの雌ありて雄無くんば、而ち又た奚(なん)ぞ卵せんや。而ち道を以て世と亢(あ)がりて必ず信ぜられんとす。夫れ故に人をして得て女(なんじ)を相(そう)せしむ。嘗(こころ)みに与に来たれ。以て予(われ)を之に示さん」と。明日、列子之と壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰く、「嘻(ああ)、子の先生は死せり。活きざらん。旬を以て数えざらん。吾怪を焉(そこ)に見たり。溼灰(しっかい)を焉に見たり」と。列子入り、涕を泣きて襟を沾(うるお)し、以て壺子に告ぐ。壺子曰く、「郷(さき)に吾之に示すに地文(ちぶん)を以てせり。萌(ほう)として震(うご)かず正(とど)まらず。是れ殆ど吾が徳機(とくき)を杜(と)ざすを見たるならん。嘗みに又た与に来たれ」と。明日、又た之と壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰く、「幸いなるかな。子の先生は我に遇えり。瘳(い)ゆること有り。全然として生有り。吾其の杜権(とけん)を見たり」と。列子入り、以て壺子に告ぐ。壺子曰く、「郷に吾之に示すに天壌(てんじょう)を以てせり。名実入らずして、機は踵(かかと)より発す。是れ殆ど吾が善なる者の機を見たるならん。嘗みに又た与に来たれ」と。明日、又た之と壺子に見ゆ。出でて列子に謂いて曰く、「子の先生は斉(ととの)わず。吾得て相する無し。試みに斉えよ。且つ復た之を相せん」と。列子入り、以て壺子に告ぐ。壺子曰く、「吾郷に之に示すに太沖莫勝(たいちゅうばくしょう)を以てせり。是れ殆ど吾が衡気(こうき)の機を見たるならん。鯢桓(げいかん)の審(ふか)きを淵と為し、止水の審きを淵と為し、流水の審きを淵と為す。淵に九名有り。此に三つを処(お)く。嘗みに又た与に来たれ」と。明日、又た之と壺子に見ゆ。立ちて未だ定まらざるに、自失して走る。壺子曰く、「之を追え」と。列子之を追うも及ばず、反りて以て壺子に報じて曰く、「已に滅せり、已に失せり。吾及ばざるなり」と。壺子曰く、「郷に吾之に示すに未だ始めより吾が宗を出でざるを以てせり。吾之と虚にして委蛇(いい)たり。其の誰何(たれ)なるを知らず。因りて以て弟靡(ていび)と為し、因りて以て波流と為す。故に逃げたるなり」と。然る後に列子は自ら以て未だ始めより学ばずと為して帰り、三年出でず。其の妻の為に爨(かし)ぎ、豕(ぶた)を食(やしな)うこと人を食うが如し。事に於いて与に親しむ無く、彫琢(ちょうたく)して朴(ぼく)に復(かえ)る。塊然(かいぜん)として独り其の形を以て立つ。紛(ふん)として封(ふう)ぜられ、一に是を以て終わる。
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『列子』黄帝篇神巫有り齊より來たりて鄭に處る。命けて季咸と曰う。人の死生・存亡・禍福・壽夭を知り、期するに歲・月・旬・日を以てすること、神の如し。鄭人之を見れば、皆な避けて走る。列子之を見て心醉し、歸りて以て壺丘子に告げて曰く、始め吾夫子の道を以て至れりと爲す。則ち又た至れる者有り、と。壺子曰く、吾汝と其の文を無くすも、未だ其の實を既くさず。而るに固より道を得たるか。衆雌にして雄無くんば、而ち又た奚ぞ卵せんや。而ち道を以て世と抗するも、必ず信ぜられん。夫れ故に人をして得て汝を相せしむ。嘗試みに與に來たれ、予を以て之に示せ、と。
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