列子 / 周穆王篇
老聃曰:「汝庸知汝子之迷乎?今天下之人皆惑於是非、昏於利害。同疾者多、固莫有覺者。且一身之迷不足傾一家、一家之迷不足傾一鄉、一鄉之迷不足傾一國、一國之迷不足傾天下。天下盡迷、孰傾之哉?向使天下之人其心盡如汝子、汝則反迷矣。哀樂、聲色、臭味、是非、孰能正之?且吾之此言未必非迷、而況魯之君子迷之郵者、焉能解人之迷哉?榮汝之糧、不若遄歸也。」
新字:老聃曰:「汝庸知汝子之迷乎?今天下之人皆惑於是非、昏於利害。同疾者多、固莫有覚者。且一身之迷不足傾一家、一家之迷不足傾一郷、一郷之迷不足傾一国、一国之迷不足傾天下。天下尽迷、孰傾之哉?向使天下之人其心尽如汝子、汝則反迷矣。哀楽、声色、臭味、是非、孰能正之?且吾之此言未必非迷、而況魯之君子迷之郵者、焉能解人之迷哉?栄汝之糧、不若遄帰也。」
書き下し
老聃曰く、汝庸ぞ汝の子の迷えるを知らんや。今天下の人は皆な是非に惑い、利害に昏し。同じく疾む者多く、固より覺る者有る莫し。且つ一身の迷いは一家を傾くるに足らず、一家の迷いは一鄉を傾くるに足らず、一鄉の迷いは一國を傾くるに足らず、一國の迷いは天下を傾くるに足らず。天下盡く迷わば、孰か之を傾けんや。向し天下の人をして其の心盡く汝の子の如くならしめば、汝は則ち反って迷えるなり。哀樂・聲色・臭味・是非、孰か能く之を正さん。且つ吾の此の言も未だ必ずしも迷いに非ずんばあらず。而るを況んや魯の君子は迷いの郵なる者をや。焉んぞ能く人の迷いを解かんや。汝の糧を榮うるは、遄かに歸るに若かざるなり、と。
現代語訳
老聃は言った。「あなたはどうして、あなたの子が迷っていると分かるのか。いま天下の人はみな是非に惑い、利害に暗い。同じ病の者が多く、そもそも気づいている者がいない。それに、一人の迷いでは一家を傾けるに足りず、一家の迷いでは一郷を傾けるに足りず、一郷の迷いでは一国を傾けるに足りず、一国の迷いでは天下を傾けるに足りない。天下がすべて迷っていたら、誰がそれを傾けるのか。もし天下の人の心がみなあなたの子のようであったなら、迷っているのはあなたのほうになる。悲しみと喜び、音と色、匂いと味、是と非、誰にそれを正せよう。そもそも私のこの言葉だって、迷いでないとはかぎらない。まして魯の君子たちは、迷いのなかでもとりわけ深い者たちだ。どうして人の迷いを解けよう。旅の食糧を用意するより、早く帰ったほうがよい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『列子』周穆王篇秦人逢氏に子有り。少くして惠く、壯に及びて迷罔の疾有り。歌を聞きて以て哭と爲し、白を視て以て黑と爲し、香を饗して以て朽と爲し、甘を嘗めて以て苦と爲し、非を行いて以て是と爲す。意の之く所、天地・四方・水火・寒暑、倒錯せざる者無し。楊氏其の父に告げて曰く、魯の君子は術藝多し。將に能く已やさんか。汝奚ぞ焉に訪わざる、と。其の父魯に之き、陳を過ぎ、老聃に遇う。因りて其の子の證を告ぐ。
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荘子・天地孝子は其の親に諛(へつら)わず、忠臣は其の君に諂(へつら)わず。臣子の盛んなるなり。親の言う所にして然(しか)りとし、行う所にして善しとすれば、則ち世俗は之を不肖の子と謂う。君の言う所にして然りとし、行う所にして善しとすれば、則ち世俗は之を不肖の臣と謂う。而るに未だ此れ其れ必然なるかを知らず。世俗の所謂然りとする所にして之を然りとし、所謂善しとする所にして之を善しとすれば、則ち之を道諛(どうゆ)の人と謂わざるなり。然らば則ち俗は固(もと)より親よりも厳にして君よりも尊きか。己を道人(どうじん)と謂えば、則ち勃然として色を作す。己を諛人(ゆじん)と謂えば、則ち怫然(ふつぜん)として色を作す。而も終身道人なり、終身諛人なり。譬を合わせ辞を飾りて衆を聚(あつ)むるも、是れ始終本末相坐(あいざ)せず。衣裳を垂れ、采色を設け、容貌を動かして、以て一世に媚ぶるも、而も自ら道諛と謂わず。夫の人の徒と為り、是非に通じて、而も自ら衆人と謂わず。愚の至りなり。其の愚を知る者は、大愚に非ざるなり。其の惑を知る者は、大惑に非ざるなり。大惑なる者は、終身解けず。大愚なる者は、終身霊(さと)らず。三人行きて一人惑わば、適(ゆ)く所は猶お致すべきなり。惑う者少なければなり。二人惑わば則ち労して至らず。惑う者勝てばなり。而るに今や天下を以て惑う。予は祈嚮(ききょう)有りと雖も、得べからざるなり。亦た悲しからずや。
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文子・道德老子曰く、天下の是非は定まる所無く、世は各々其の善とする所を是とし、其の悪む所を非とす。夫れ是を求むる者は、道理を求むるに非ず、己に合するなり。邪を去るに非ず、心に迕うを去るなり。今、吾れ是を択びて之に居り、非を択びて之を去らんと欲するも、世の所謂是非を知らず。故に大国を治むるは小鮮を烹るが若しと。撓すこと勿きのみ。夫れ趣合する者は、即ち言中たりて益々親しみ、身疏くして謀当たれば、即ち疑わる。今、吾れ身を正しくして物を待たんと欲するも、世の規に従いて我を規す者を何ぞ知らんや。若し俗と遽かに走れば、猶お雨を逃るるがごとく、之くとして濡れざる無し。虚を欲するに在りては、則ち虚なる能わず。若し夫れ虚を為さずして自ら虚なる者は、此れ欲する所として致さざる無し。故に道に通ずる者は車軸の如し。己に運らさずして、轂と与に千里に致り、無窮の原に転ず。故に聖人は道を体して至りに反り、化せずして化を待ち、動きて無為なり。
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荘子・天地大声は里耳(りじ)に入らず。《折楊》《皇荂(こうか)》は、則ち嗑然(こうぜん)として笑う。是の故に高言は衆人の心に止まらず。至言は出でず、俗言勝てばなり。二缶(にふ)の鍾(しょう)を以て惑わば、而ち適く所を得ざらん。而るに今や天下を以て惑う。予は祈嚮有りと雖も、其れ庸(なん)ぞ得べけんや。其の得べからざるを知りて之を強うるは、又た一の惑いなり。故に之を釈(す)てて推さざるに若くは莫し。推さざれば、誰か其れ憂いを比(とも)にせん。厲(らい)の人夜半に其の子を生めば、遽(にわ)かに火を取りて之を視る。汲汲然として惟だ其の己に似んことを恐るるなり。
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『列子』天瑞篇古者は死人を謂いて歸人と爲す。夫れ死人を歸人と爲すと言わば、則ち生人は行人なり。行きて歸るを知らざるは、家を失う者なり。一人家を失えば、一世之を非とす。天下家を失えば、非とするを知る莫し。人有り鄉土を去り、六親を離れ、家業を廢し、四方に遊びて歸らざる者は、何人ぞや。世は必ず之を狂蕩の人と謂わん。又た人有り賢世に鍾り、巧能を矜り、名譽を修め、世に誇張して已むを知らざる者は、亦た何人ぞや。世は必ず以て智謀の士と爲さん。此の二つの者は、胥な失える者なり。而るに世は一に與して一に與せず。唯だ聖人のみ與する所を知り、去る所を知る。
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『長短経』忠疑淮南子に曰く「親母其の子の為に禿を扢きて、血を出だして耳に至るも、見る者以て子を愛するの至りと為す。継母に在らしめば、則ち過ぐる者以て悷りと為す」と。事の情は一なり、従りて観る所の者異なるのみ。城上より牛を視れば羊の如く、羊を視れば豚の如し。居る所高ければなり。面を盤水に窺えば則ち円く、□に於いてす〔□は音随、訓は虧なり〕。面の形は変ぜず。其の故に円なる所有り、□なる所有る者は、自りて窺う所異なればなり。今、吾身を正して物を待たんと欲すと雖も、庸詎ぞ世の自りて我を窺う所の者を知らんや。是に知る、天下の是非は定まる所無し。世各々其の是とする所を是とし、其の非とする所を非とす。今、吾是を択びて之に居り、非を択びて之を去らんと欲するも、世の是非とする所の者、孰れか是にして孰れか非なるかを知らざるなり。
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