荘子 / 天地
大聲不入於里耳,《折楊》、《皇荂》,則嗑然而笑。是故高言不止於眾人之心,至言不出,俗言勝也。以二缶鍾惑,而所適不得矣。而今也以天下惑,予雖有祈嚮,其庸可得邪?知其不可得也而強之,又一惑也,故莫若釋之而不推。不推,誰其比憂!厲之人夜半生其子,遽取火而視之,汲汲然惟恐其似己也。
新字:大声不入於里耳,《折楊》、《皇荂》,則嗑然而笑。是故高言不止於衆人之心,至言不出,俗言勝也。以二缶鍾惑,而所適不得矣。而今也以天下惑,予雖有祈嚮,其庸可得邪?知其不可得也而強之,又一惑也,故莫若釈之而不推。不推,誰其比憂!厲之人夜半生其子,遽取火而視之,汲汲然惟恐其似己也。
書き下し
大声は里耳(りじ)に入らず。《折楊》《皇荂(こうか)》は、則ち嗑然(こうぜん)として笑う。是の故に高言は衆人の心に止まらず。至言は出でず、俗言勝てばなり。二缶(にふ)の鍾(しょう)を以て惑わば、而ち適く所を得ざらん。而るに今や天下を以て惑う。予は祈嚮有りと雖も、其れ庸(なん)ぞ得べけんや。其の得べからざるを知りて之を強うるは、又た一の惑いなり。故に之を釈(す)てて推さざるに若くは莫し。推さざれば、誰か其れ憂いを比(とも)にせん。厲(らい)の人夜半に其の子を生めば、遽(にわ)かに火を取りて之を視る。汲汲然として惟だ其の己に似んことを恐るるなり。
現代語訳
偉大な音楽は、里人の耳には入らない。『折楊』や『皇荂』のような俗な流行り歌なら、みなにこにこと笑って喜ぶ。だから高尚な言葉は、大衆の心に留まらない。至高の言葉は表に出てこない。俗な言葉のほうが勝ってしまうからだ。二つの安物の甕の音で、本物の鐘の音が聞き分けられなくなれば、行き着くところにたどり着けない。ところが今や、天下じゅうが迷っている。私に目指す方角があっても、どうしてたどり着けようか。たどり着けないと知りながら無理に押し通すのは、これもまた一つの迷いだ。だから、いっそ手放して、押し進めないに越したことはない。押し進めなければ、誰と憂いを分かち合うこともない。重い皮膚病の者が、夜中に子を産んだ。あわてて灯りを取って我が子を見る。ひたすらに、自分に似ていないかとだけ恐れているのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荘子・天地孝子は其の親に諛(へつら)わず、忠臣は其の君に諂(へつら)わず。臣子の盛んなるなり。親の言う所にして然(しか)りとし、行う所にして善しとすれば、則ち世俗は之を不肖の子と謂う。君の言う所にして然りとし、行う所にして善しとすれば、則ち世俗は之を不肖の臣と謂う。而るに未だ此れ其れ必然なるかを知らず。世俗の所謂然りとする所にして之を然りとし、所謂善しとする所にして之を善しとすれば、則ち之を道諛(どうゆ)の人と謂わざるなり。然らば則ち俗は固(もと)より親よりも厳にして君よりも尊きか。己を道人(どうじん)と謂えば、則ち勃然として色を作す。己を諛人(ゆじん)と謂えば、則ち怫然(ふつぜん)として色を作す。而も終身道人なり、終身諛人なり。譬を合わせ辞を飾りて衆を聚(あつ)むるも、是れ始終本末相坐(あいざ)せず。衣裳を垂れ、采色を設け、容貌を動かして、以て一世に媚ぶるも、而も自ら道諛と謂わず。夫の人の徒と為り、是非に通じて、而も自ら衆人と謂わず。愚の至りなり。其の愚を知る者は、大愚に非ざるなり。其の惑を知る者は、大惑に非ざるなり。大惑なる者は、終身解けず。大愚なる者は、終身霊(さと)らず。三人行きて一人惑わば、適(ゆ)く所は猶お致すべきなり。惑う者少なければなり。二人惑わば則ち労して至らず。惑う者勝てばなり。而るに今や天下を以て惑う。予は祈嚮(ききょう)有りと雖も、得べからざるなり。亦た悲しからずや。
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荘子・天運吾又た之を奏するに無怠の声を以てし、之を調するに自然の命を以てす。故に混(こん)じ逐(お)い叢生(そうせい)するが若く、林楽(りんがく)にして形無く、布揮(ふき)して曳(ひ)かず、幽昏(ゆうこん)にして声無し。無方に動き、窈冥(ようめい)に居る。或いは之を死と謂い、或いは之を生と謂い、或いは之を実と謂い、或いは之を栄と謂う。行き流れ散り徙(うつ)り、常声を主とせず。世之を疑いて、聖人に稽(かんが)う。聖なる者は、情に達して命に遂(したが)う者なり。天機張らずして五官皆な備わる。此を之れ天楽と謂う。言無くして心説(よろこ)ぶ。故に有焱氏(ゆうえんし)之が頌を為して曰く、『之を聴けども其の声を聞かず、之を視れども其の形を見ず。天地に充満し、六極を苞裏(ほうり)す』と。汝之を聴かんと欲するも接する無し。而(すなわ)ち故に惑えるなり。
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荘子・天下天下大いに乱れ、賢聖明らかならず、道徳一ならず。天下多く一察を得て以て自ら好しとす。譬うれば耳目鼻口の如し。皆な明らかにする所有るも、相通ずる能わず。猶お百家の衆技のごときなり。皆な長ずる所有り、時に用うる所有り。然りと雖も、該(そな)わらず遍(あまね)からず、一曲の士なり。天地の美を判(わか)ち、万物の理を析(さ)き、古人の全を察するも、能く天地の美に備わり、神明の容を称する者寡(すく)なし。是の故に内聖外王の道は、闇(くら)くして明らかならず、鬱(ふさ)がりて発せず。天下の人は各々其の欲する所を為して以て自ら方と為す。悲しいかな。百家は往きて反らず。必ず合わざらん。後世の学者は、不幸にして天地の純、古人の大体を見ず。道術将に天下の為に裂かれんとす。
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荘子・天地間有りて、圃を為す者曰く、「子は奚(なに)を為す者か」と。曰く、「孔丘の徒なり」と。圃を為す者曰く、「子は夫の博学以て聖に擬し、於于(うう)として以て衆に蓋(か)ぶり、独り弦して哀歌し、以て名声を天下に売る者に非ずや。汝は方に将に汝の神気を忘れ、汝の形骸を堕(お)とさば、而ち庶幾(ちか)からんか。而(なんじ)の身すら之れ治むる能わず、而るに何ぞ天下を治むるに暇あらんや。子往け。吾が事を乏(そこな)う無かれ」と。
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