列子 / 天瑞篇
古者謂死人爲歸人。夫言死人爲歸人、則生人爲行人矣。行而不知歸、失家者也。一人失家、一世非之、天下失家、莫知非焉。有人去鄉土、離六親、廢家業、遊於四方而不歸者、何人哉?世必謂之爲狂蕩之人矣。又有人鍾賢世、矜巧能、修名譽、誇張於世而不知已者、亦何人哉?世必以爲智謀之士。此二者、胥失者也。而世與一不與一、唯聖人知所與、知所去。」
新字:古者謂死人為帰人。夫言死人為帰人、則生人為行人矣。行而不知帰、失家者也。一人失家、一世非之、天下失家、莫知非焉。有人去鄉土、離六親、廃家業、遊於四方而不帰者、何人哉?世必謂之為狂蕩之人矣。又有人鍾賢世、矜巧能、修名誉、誇張於世而不知已者、亦何人哉?世必以為智謀之士。此二者、胥失者也。而世与一不与一、唯聖人知所与、知所去。」
書き下し
古者は死人を謂いて歸人と爲す。夫れ死人を歸人と爲すと言わば、則ち生人は行人なり。行きて歸るを知らざるは、家を失う者なり。一人家を失えば、一世之を非とす。天下家を失えば、非とするを知る莫し。人有り鄉土を去り、六親を離れ、家業を廢し、四方に遊びて歸らざる者は、何人ぞや。世は必ず之を狂蕩の人と謂わん。又た人有り賢世に鍾り、巧能を矜り、名譽を修め、世に誇張して已むを知らざる者は、亦た何人ぞや。世は必ず以て智謀の士と爲さん。此の二つの者は、胥な失える者なり。而るに世は一に與して一に與せず。唯だ聖人のみ與する所を知り、去る所を知る。
現代語訳
昔は死んだ人を「帰った人」と呼んだ。死んだ人が帰った人なら、生きている人は旅の途中の人である。旅に出たまま帰ることを知らないのは、家を失った者だ。一人が家を失えば、世間じゅうがそれを非難する。世の中みんなが家を失えば、誰も非難しなくなる。ここに、故郷を去り、親族を離れ、家業を捨て、四方をさすらって帰らない者がいるとする。これは何者か。世間は必ず「気の触れた放蕩者」と呼ぶだろう。またここに、時流の栄達に心を寄せ、腕前を誇り、名声を磨き、世間に自分を大きく見せてやめられない者がいるとする。これは何者か。世間は必ず「知恵のある人物」と見なすだろう。この二人はどちらも同じく本来のところを失っている。それなのに世間は一方に味方し、一方に味方しない。ただ聖人だけが、何に味方し何を捨てるべきかを知っている。
解説
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