列子 / 周穆王篇
覺有八徵、夢有六候。奚謂八徵?一曰故、二曰爲、三曰得、四曰喪、五曰哀、六曰樂、七曰生、八曰死。此者八徵、形所接也。奚謂六候?一曰正夢、二曰蘁夢、三曰思夢、四曰寤夢、五曰喜夢、六曰懼夢。此六者、神所交也。不識感變之所起者、事至則惑其所由然、識感變之所起者、事至則知其所由然。知其所由然、則無所怛。
新字:覚有八徴、夢有六候。奚謂八徴?一曰故、二曰為、三曰得、四曰喪、五曰哀、六曰楽、七曰生、八曰死。此者八徴、形所接也。奚謂六候?一曰正夢、二曰蘁夢、三曰思夢、四曰寤夢、五曰喜夢、六曰懼夢。此六者、神所交也。不識感変之所起者、事至則惑其所由然、識感変之所起者、事至則知其所由然。知其所由然、則無所怛。
書き下し
覺むるに八徵有り、夢むるに六候有り。奚をか八徵と謂う。一に曰く故、二に曰く爲、三に曰く得、四に曰く喪、五に曰く哀、六に曰く樂、七に曰く生、八に曰く死。此の者八徵は、形の接する所なり。奚をか六候と謂う。一に曰く正夢、二に曰く蘁夢、三に曰く思夢、四に曰く寤夢、五に曰く喜夢、六に曰く懼夢。此の六つの者は、神の交わる所なり。感變の起こる所を識らざる者は、事至れば則ち其の然る所以に惑う。感變の起こる所を識る者は、事至れば則ち其の然る所以を知る。其の然る所以を知らば、則ち怛る所無し。
現代語訳
目覚めているときには八つのしるしがあり、夢には六つのきざしがある。八つのしるしとは何か。一に習慣、二に行い、三に得ること、四に失うこと、五に悲しみ、六に楽しみ、七に生、八に死である。この八つのしるしは、体が外と接することから生じる。六つのきざしとは何か。一に正夢、二に驚く夢、三に思いから生じる夢、四に目覚めぎわの夢、五に喜びの夢、六に恐れの夢である。この六つは、精神が外と交わることから生じる。心が動かされる原因がどこにあるかを知らない者は、事が起きたとき、なぜそうなったのかに戸惑う。原因がどこにあるかを知っている者は、事が起きたとき、なぜそうなったのかが分かる。なぜそうなったのかが分かれば、恐れるところがない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『列子』周穆王篇一體の盈虛消息は、皆な天地に通じ、物類に應ず。故に陰氣壯んなれば、則ち大水を涉りて恐懼するを夢み、陽氣壯んなれば、則ち大火を涉りて燔焫するを夢み、陰陽俱に壯んなれば、則ち生殺を夢む。甚だ飽けば則ち與うるを夢み、甚だ饑うれば則ち取るを夢む。是を以て浮虛を以て疾と爲す者は、則ち揚がるを夢み、沈實を以て疾と爲す者は、則ち溺るるを夢む。帶を藉きて寢ぬれば則ち蛇を夢み、飛鳥髮を銜めば則ち飛ぶを夢む。將に陰らんとすれば火を夢み、將に疾まんとすれば食を夢む。酒を飲む者は憂え、歌い儛う者は哭す。
-
『列子』周穆王篇子列子曰く、神の遇うを夢と爲し、形の接するを事と爲す。故に晝に想い夜に夢むるは、神形の遇う所なり。故に神凝る者は想夢自ら消ゆ。覺を信ずる者は語らず、夢を信ずる者は達せず、物化の往來する者なり。古の真人は、其の覺むるや自ら忘れ、其の寢ぬるや夢みず、と。幾ぞ虛語ならんや。
-
荘子・列禦寇窮に八極有り、達に三必有り、形に六府有り。美・髯(ぜん)・長・大・壮・麗・勇・敢、八者は俱に人に過ぐるなり。因りて是を以て窮す。縁循(えんじゅん)・偃佒(えんおう)・困畏(こんい)にして人に若かざる、三者は俱に通達す。知慧は外に通じ、勇動は怨み多く、仁義は責め多し。生の情に達する者は傀(かい)なり、知に達する者は肖(しょう)なり。大命に達する者は随い、小命に達する者は遭う。
-
荘子・斉物論大知は閑閑(かんかん)、小知は間間(かんかん)。大言は炎炎(えんえん)、小言は詹詹(せんせん)。其の寐(い)ぬるや魂交わり、其の覚むるや形開く。接する与(もの)と構(こう)を為し、日び心を以て闘う。縵(まん)なる者、窖(こう)なる者、密なる者。小恐は惴惴(すいすい)たり、大恐は縵縵(まんまん)たり。其の発すること機栝(きかつ)の若きは、其の是非を司るを之れ謂うなり。其の留まること詛盟(そめい)の如きは、其の勝ちを守るを之れ謂うなり。其の殺(そ)ぐこと秋冬の如きは、以て其の日び消ゆるを言うなり。其の之を為す所に溺るるは、之をして復(かえ)らしむべからざるなり。其の厭(お)すや緘(かん)するが如きは、以て其の老洫(ろういつ)を言うなり。死に近づくの心、復た陽ならしむる莫し。喜怒哀楽、慮嘆変慹(りょたんへんしゅう)、姚佚啓態(ようきつけいたい)。楽は虚より出で、蒸(じょう)は菌を成す。日夜相代(あいかわ)るがわる前に乎(お)こるも、而も其の萌(きざ)す所を知る莫し。已(や)まんかな已まんかな。旦暮(たんぼ)に此を得るは、其れ由りて以て生ずる所か。
-
『列子』力命篇佹佹として成る者は、成るに俏たり。初めより成るに非ざるなり。佹佹として敗るる者は、敗るるに俏たる者なり。初めより敗るるに非ざるなり。故に迷いは俏に生ず。俏の際は昧然たり。俏に於いて昧然たらざれば、則ち外禍に駭かず、内福に喜ばず、時に隨いて動き、時に隨いて止まる。智の知る能わざるなり。命を信ずる者は彼我に於いて二心無し。彼我に於いて二心有る者は、目を揜い耳を塞ぎ、坂を背にし隍に面するも亦た墜仆せざるに若かず。故に曰く、死生は自ずから命なり、貧窮は自ずから時なり、と。夭折を怨む者は、命を知らざる者なり。貧窮を怨む者は、時を知らざる者なり。死に當たりて懼れず、窮に在りて戚まざるは、命を知り時に安んずればなり。
-
『列子』周穆王篇尹氏心に世事を營み、慮い家業に鍾まる。心形俱に疲れ、夜も亦た昏憊して寐ぬ。昔昔に人の僕と爲り、趨走して役を作し、爲さざる無く、數ば罵られ杖撻せられ、至らざる無きを夢む。眠中に啽囈呻呼し、旦に徹りて息む。尹氏之を病み、以て其の友に訪う。友曰く、若の位は身を榮するに足り、資財餘り有り、人に勝ること遠し。夜に僕と爲るを夢むは、苦逸の復するは、數の常なり。若し覺と夢とを兼ねんと欲するは、豈に得べけんや、と。尹氏其の友の言を聞き、其の役夫の程を寬くし、己の思慮の事を減じ、疾並びに少しく間ゆ。