列子 / 周穆王篇
由此穆王自失者三月而復、更問化人。化人曰:「吾與王神遊也、形奚動哉?且曩之所居、奚異王之宮?曩之所游、奚異王之圃?王閒恆有、疑蹔亡。變化之極、徐疾之間、可盡模哉?」王大悅。
新字:由此穆王自失者三月而復、更問化人。化人曰:「吾与王神遊也、形奚動哉?且曩之所居、奚異王之宮?曩之所游、奚異王之圃?王閒恒有、疑蹔亡。変化之極、徐疾之間、可尽模哉?」王大悅。
書き下し
此に由りて穆王自失する者三月にして復す。更めて化人に問う。化人曰く、吾王と神遊せるなり。形奚ぞ動かんや。且つ曩の居る所は、奚ぞ王の宮に異ならん。曩の游びし所は、奚ぞ王の圃に異ならん。王は閒かに恆に有り、疑らくは蹔く亡きのみ。變化の極み、徐疾の間、盡く模すべけんや、と。王大いに悅ぶ。
現代語訳
これによって穆王は放心状態が三か月続き、ようやく元に戻った。あらためて幻術使いに尋ねた。幻術使いは言った。「私は王と精神で遊んだのです。体がどうして動きましょう。それに、さきほど住んでいたところが、王の宮殿と何が違いましょう。さきほど遊んだところが、王の庭園と何が違いましょう。王はいつも変わらずそこにおられ、ただしばらく見えなくなっただけです。変化の極み、遅さと速さのあいだを、すべて写し取ることなどできましょうか」。王は大いに喜んだ。
解説
種明かしですが、幻術使いは謝罪も自慢もしません。あの宮殿と王の宮殿は何が違うのか、と問い返す。上から見て土くれに見えたのは、比較の位置がそう見せただけで、宮殿自体は何も変わっていません。「王は閒かに恆に有り」――王はずっとそこにいた。失われていたのは対象ではなく、見ている位置のほうでした。実務でこれは重要な補正です。他社や他国と比べて自社が小さく見えるとき、小さくなったのは自社ではありません。比較の位置が変わっただけです。ただし、その位置に一度立ったこと自体は無駄になりません。次の一段で穆王がどう動くかが、それを示します。
この章句が説くこと
吾王と神遊せるなり形奚ぞ動かん王は閒かに恒に有り変化の極み徐疾の間
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