列子 / 黄帝篇
惠盎見宋康王。康王蹀足謦欬、疾言曰:「寡人之所說者、勇有力也、不說爲仁義者也。客將何以教寡人?」惠盎對曰:「臣有道於此、使人雖勇、刺之不入、雖有力、擊之弗中。大王獨無意邪?」宋王曰:「善。此寡人之所欲聞也。」
新字:恵盎見宋康王。康王蹀足謦欬、疾言曰:「寡人之所説者、勇有力也、不説為仁義者也。客将何以教寡人?」恵盎対曰:「臣有道於此、使人雖勇、刺之不入、雖有力、擊之弗中。大王独無意邪?」宋王曰:「善。此寡人之所欲聞也。」
書き下し
惠盎宋の康王に見ゆ。康王足を蹀み謦欬し、疾く言いて曰く、寡人の說ぶ所の者は、勇にして力有るなり。仁義を爲す者を說ばざるなり。客將に何を以て寡人に教えんとするか、と。惠盎對えて曰く、臣に此に道有り。人をして勇なりと雖も、之を刺すも入らず、力有りと雖も、之を擊つも中たらざらしむ。大王獨り意無きか、と。宋王曰く、善し。此れ寡人の聞かんと欲する所なり、と。
現代語訳
恵盎が宋の康王に会った。康王は足を踏み鳴らし咳払いをして、早口で言った。「わしが好むのは、勇気があって力のある者だ。仁義を説く者は好まぬ。客人はいったい何をわしに教えようというのか」。恵盎は答えて言った。「私にはこういう道があります。人がどれほど勇敢でも、あなたを刺して刺さらず、どれほど力があっても、打って中たらない、そういう道です。大王はご興味がおありでないでしょうか」。宋王は言った。「よろしい。それこそわしが聞きたいことだ」。
解説
仁義の話は聞かないと言い切った王に対して、恵盎は仁義という言葉を一度も使いませんでした。代わりに「刺しても刺さらず、打っても中たらない道」を差し出した。相手が価値を置いている土俵の上に、こちらの話を載せています。説得の技術として、これは基本にして最上のものです。相手の関心を否定してから正論を述べれば、内容がどれほど正しくても届かない。恵盎はこのあと段階を上げていきますが、入口では必ず相手の言葉を使っています。社内で新しい方針を通すときも同じで、相手が数字しか見ないなら、まず数字の言葉で入る。理念から入るのは、聞く用意ができてからです。
この章句が説くこと
恵盎勇にして力有るを説ぶ之を刺すも入らず之を擊つも中たらず大王独り意無きか傾聴
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