列子 / 黄帝篇
禽獸之智有自然與人童者、其齊欲攝生、亦不假智於人也。牝牡相偶、母子相親、避平依險、違寒就溫、居則有羣、行則有列、小者居內、壯者居外、飲則相攜、食則鳴羣。太古之時、則與人同處、與人並行。帝王之時、始驚駭散亂矣。逮於末世、隱伏逃竄、以避患害。
新字:禽獣之智有自然与人童者、其斉欲摂生、亦不仮智於人也。牝牡相偶、母子相親、避平依険、違寒就温、居則有羣、行則有列、小者居内、壮者居外、飲則相攜、食則鳴羣。太古之時、則与人同処、与人並行。帝王之時、始驚駭散乱矣。逮於末世、隠伏逃竄、以避患害。
書き下し
禽獸の智に自然と人と童しき者有り。其の齊しく生を攝せんと欲するは、亦た智を人に假らざるなり。牝牡相い偶し、母子相い親しみ、平を避けて險に依り、寒に違いて溫に就く。居れば則ち羣有り、行けば則ち列有り。小なる者は内に居り、壯なる者は外に居る。飲めば則ち相い攜え、食らえば則ち羣に鳴く。太古の時は、則ち人と處を同じくし、人と並び行けり。帝王の時、始めて驚駭散亂す。末世に逮びて、隱伏逃竄し、以て患害を避く。
現代語訳
禽獣の知恵には、生まれつき人と同じものがある。同じように命を保とうとする点では、人から知恵を借りているのではない。雌雄は連れ添い、母と子は親しみ、平地を避けて険しいところに拠り、寒さを避けて暖かいところへ移る。住むときは群れをなし、進むときは列をなす。小さいものは内側にいて、大きいものは外側にいる。水を飲むときは連れ立ち、食べるときは仲間に鳴いて知らせる。太古の時代には、獣は人と同じところに住み、人と並んで歩いていた。帝王の時代になって、はじめて驚き散り乱れた。末の世になると、隠れ潜み逃げ隠れして、害を避けるようになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
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