列子 / 黄帝篇
黃帝與炎帝戰於阪泉之野、帥熊、羆、狼、豹、貙、虎爲前驅、鵰、鶡、鷹、鳶爲旗幟、此以力使禽獸者也。堯使夔典樂、擊石拊石、百獸率舞、《簫韶》九成、鳳皇來儀、此以聲致禽獸者也。然則禽獸之心、奚爲異人?形音與人異、而不知接之之道焉。聖人無所不知、無所不通、故得引而使之焉。
新字:黄帝与炎帝戦於阪泉之野、帥熊、羆、狼、豹、貙、虎為前駆、鵰、鶡、鷹、鳶為旗幟、此以力使禽獣者也。堯使夔典楽、擊石拊石、百獣率舞、《簫韶》九成、鳳皇来儀、此以声致禽獣者也。然則禽獣之心、奚為異人?形音与人異、而不知接之之道焉。聖人無所不知、無所不通、故得引而使之焉。
書き下し
黄帝炎帝と阪泉の野に戰う。熊・羆・狼・豹・貙・虎を帥いて前驅と爲し、鵰・鶡・鷹・鳶を旗幟と爲す。此れ力を以て禽獸を使う者なり。堯は夔をして樂を典らしむ。石を擊ち石を拊てば、百獸率いて舞い、簫韶九成すれば、鳳皇來たり儀る。此れ聲を以て禽獸を致す者なり。然らば則ち禽獸の心、奚爲れぞ人に異ならん。形音は人と異なりて、之に接するの道を知らざるなり。聖人は知らざる所無く、通ぜざる所無し。故に引きて之を使うを得たり。
現代語訳
黄帝が炎帝と阪泉の野で戦ったとき、熊・羆・狼・豹・貙・虎を率いて先陣とし、鵰・鶡・鷹・鳶を旗印とした。これは力によって禽獣を使った例である。堯は夔に音楽をつかさどらせた。石を打ち石を叩けば、百の獣がそろって舞い、簫韶の曲が九度奏でられると、鳳凰が来て舞い姿を整えた。これは声によって禽獣を招いた例である。とすれば、禽獣の心がどうして人と違っていよう。姿と声が人と違うだけで、こちらがそれに接する道を知らないだけだ。聖人は知らないことがなく、通じないことがない。だから引き寄せて使うことができた。
解説
同じ「禽獣を動かす」でも、二つの型が並べられます。黄帝は力で使い、堯は音で招いた。前者は戦のため、後者は舞のためです。目的が違えば手段が違うのは当然ですが、列子の関心はその先にあります。動かせないのは相手の心が違うからではなく、こちらが接する道を知らないだけだ、と。これは相手を選ばない立場です。合わない相手、話の通じない相手を「そういう人だから」と片付けるのは、接し方を持っていないことの言い換えかもしれない。ただし、力で使う道も否定されていません。二つとも道として並べたうえで、知らないことが問題だと言っています。
この章句が説くこと
力を以て禽獣を使う声を以て禽獣を致す之に接するの道を知らざるなり適材適所
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