列子 / 黄帝篇
天下有常勝之道、有不常勝之道。常勝之道曰柔、常不勝之道曰彊。二者亦知、而人未之知。故上古之言:彊、先不己若者、柔、先出於己者。先不己若者、至於若己、則殆矣。先出於己者、亡所殆矣。以此勝一身若徒、以此任天下若徒、謂不勝而自勝、不任而自任也。
書き下し
天下に常に勝つの道有り、常には勝たざるの道有り。常に勝つの道を柔と曰い、常には勝たざるの道を彊と曰う。二つの者は亦た知られたり。而れども人未だ之を知らず。故に上古の言に、彊は己に若かざる者に先んじ、柔は己より出づる者に先んず、と。己に若かざる者に先んずるは、己に若く者に至れば、則ち殆うし。己より出づる者に先んずるは、殆うき所亡し。此を以て一身に勝つは徒の若く、此を以て天下に任ずるも徒の若し。不勝にして自ら勝ち、不任にして自ら任ずと謂うなり。
現代語訳
天下には常に勝つ道があり、常には勝てない道がある。常に勝つ道を柔といい、常には勝てない道を強という。この二つはすでに知られている。それなのに人は本当には知っていない。だから古い言葉にこうある。強は自分より劣った者に先んじ、柔は自分より優れた者に先んじる、と。自分より劣った者に先んじる者は、自分と同じ力の相手に出会えば危うい。自分より優れた者に先んじる者には、危ういところがない。この道で自分ひとりに勝つのは手ぶらのように容易であり、この道で天下を担うのも手ぶらのように容易である。勝とうとしないのに自然に勝ち、担おうとしないのに自然に担っている、というのはこのことだ。
解説
強と柔の違いを、勝つ相手の方向で定義しているのが鋭い。強は自分より弱い相手に先んじる道です。だから、同格に出会った瞬間に破綻する。柔は自分より優れた相手に先んじる道で、こちらは破綻しません。競争戦略としてそのまま読めます。弱い競合を叩き続けて成長した会社は、同等の相手が現れたときに手が無い。強者を相手に成り立たせてきた会社は、相手が誰でも崩れない。どちらの勝ち方をしてきたかは、順調なうちは差が出ません。差が出るのは、同格が現れた一度きりの場面です。そのときにはもう、やり方は変えられません。
この章句が説くこと
常に勝つの道を柔と曰う彊は己に若かざる者に先んず不勝にして自ら勝つ組織変革理念柔軟性
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