列子 / 黄帝篇
凡順之則喜、逆之則怒、此有血氣者之性也。然喜怒豈妄發哉?皆逆之所犯也。夫食虎者、不敢以生物與之、爲其殺之之怒也、不敢以全物與之、爲其碎之之怒也。時其飢飽、達其怒心。虎之與人異類、而媚養己者、順也、故其殺之、逆也。然則吾豈敢逆之使怒哉?亦不順之使喜也。夫喜之復也必怒、怒之復也常喜、皆不中也。今吾心無逆順者也、則鳥獸之視吾、猶其儕也。故游吾園者、不思高林曠澤、寢吾庭者、不願深山幽谷、理使然也。」
新字:凡順之則喜、逆之則怒、此有血気者之性也。然喜怒豈妄発哉?皆逆之所犯也。夫食虎者、不敢以生物与之、為其殺之之怒也、不敢以全物与之、為其砕之之怒也。時其飢飽、達其怒心。虎之与人異類、而媚養己者、順也、故其殺之、逆也。然則吾豈敢逆之使怒哉?亦不順之使喜也。夫喜之復也必怒、怒之復也常喜、皆不中也。今吾心無逆順者也、則鳥獣之視吾、猶其儕也。故游吾園者、不思高林曠沢、寝吾庭者、不願深山幽谷、理使然也。」
書き下し
凡そ之に順えば則ち喜び、之に逆らえば則ち怒る。此れ血氣有る者の性なり。然れども喜怒豈に妄りに發せんや。皆な逆らうの犯す所なり。夫れ虎を食わしむる者は、敢えて生物を以て之に與えず、其の之を殺すの怒りを爲せばなり。敢えて全物を以て之に與えず、其の之を碎くの怒りを爲せばなり。其の飢飽に時し、其の怒心に達す。虎の人と類を異にして、己を養う者に媚ぶるは、順なればなり。故に其の之を殺すは、逆なればなり。然らば則ち吾豈に敢えて之に逆らいて怒らしめんや。亦た之に順いて喜ばしめざるなり。夫れ喜びの復するや必ず怒り、怒りの復するや常に喜ぶ。皆な中らざるなり。今吾が心に逆順なる者無し。則ち鳥獸の吾を視ること、猶お其の儕のごとし。故に吾が園に游ぶ者は、高林曠澤を思わず、吾が庭に寢ぬる者は、深山幽谷を願わず。理の然らしむるなり。
現代語訳
およそ思いどおりになれば喜び、逆らわれれば怒る。これは血気のあるものの本性です。しかし喜びや怒りが、でたらめに起こるでしょうか。どれも逆らわれたことが引き金です。虎に餌をやる者は、生きたものを与えません。虎がそれを殺すことで怒りが立つからです。丸ごとのものも与えません。虎がそれを噛み砕くことで怒りが立つからです。飢えと満腹の時機を見はからい、怒りの心の筋道を知りつくす。虎は人と種類が違うのに、自分を養う者になつくのは、逆らわれないからです。虎が人を殺すのは、逆らわれるからです。であれば、私がどうして逆らって怒らせましょうか。かといって、思いどおりにさせて喜ばせもしません。喜びが戻れば必ず怒りになり、怒りが戻れば必ず喜びになる。どちらも真ん中を外しています。いま私の心には、逆らうも従うもありません。だから鳥や獣が私を見ても、自分たちの仲間としか見えないのです。だから私の園で遊ぶものは高い林や広い沢を恋しがらず、私の庭で眠るものは深い山や谷を求めません。道理がそうさせているのです。
解説
この章句が説くこと
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『列子』黄帝篇禽獸の智に自然と人と童しき者有り。其の齊しく生を攝せんと欲するは、亦た智を人に假らざるなり。牝牡相い偶し、母子相い親しみ、平を避けて險に依り、寒に違いて溫に就く。居れば則ち羣有り、行けば則ち列有り。小なる者は内に居り、壯なる者は外に居る。飲めば則ち相い攜え、食らえば則ち羣に鳴く。太古の時は、則ち人と處を同じくし、人と並び行けり。帝王の時、始めて驚駭散亂す。末世に逮びて、隱伏逃竄し、以て患害を避く。
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『列子』黄帝篇周の宣王の牧正に役人梁鴦なる者有り。能く野禽獸を養い、食を園庭の内に委ぬ。虎狼鵰鶚の類と雖も、柔馴せざる者無し。雄雌前に在り、孳尾して羣を成し、異類雜居して、相い搏噬せざるなり。王其の術の其の身に終わらんことを慮り、毛丘園をして之を傳えしむ。梁鴦曰く、鴦は賤役なり、何の術ありてか以て爾に告げん。王の爾に隱すと謂わんことを懼る。且く一たび我が虎を養うの法を言わん。
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『列子』力命篇生は之を貴びて能く存する所に非ず。身は之を愛して能く厚くする所に非ず。生も亦た之を賤しみて能く夭くする所に非ず。身も亦た之を輕んじて能く薄くする所に非ず。故に之を貴びて或いは生きず、之を賤しみて或いは死せず、之を愛して或いは厚からず、之を輕んじて或いは薄からず。此れ反に似たり、反に非ざるなり。此れ自ら生き自ら死し、自ら厚く自ら薄きなり。或いは之を貴びて生き、或いは之を賤しみて死し、或いは之を愛して厚く、或いは之を輕んじて薄し。此れ順に似たり、順に非ざるなり。此れも亦た自ら生き自ら死し、自ら厚く自ら薄きなり。鬻熊文王に語げて曰く、自ら長きは增す所に非ず、自ら短きは損ずる所に非ず。算の亡き所を若何せん、と。老聃關尹に語げて曰く、天の惡む所、孰か其の故を知らん、と。天意を迎え、利害を揣るは、其の已むに如かざるを言うなり。
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『列子』黄帝篇黄帝炎帝と阪泉の野に戰う。熊・羆・狼・豹・貙・虎を帥いて前驅と爲し、鵰・鶡・鷹・鳶を旗幟と爲す。此れ力を以て禽獸を使う者なり。堯は夔をして樂を典らしむ。石を擊ち石を拊てば、百獸率いて舞い、簫韶九成すれば、鳳皇來たり儀る。此れ聲を以て禽獸を致す者なり。然らば則ち禽獸の心、奚爲れぞ人に異ならん。形音は人と異なりて、之に接するの道を知らざるなり。聖人は知らざる所無く、通ぜざる所無し。故に引きて之を使うを得たり。
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