列子 / 黄帝篇
范氏有子曰子華、善養私名、舉國服之、有寵於晉君、不仕而居三卿之右。目所偏視、晉國爵之、口所偏肥、晉國黜之。游其庭者侔於朝。子華使其俠客以智鄙相攻、彊弱相凌。雖傷破於前、不用介意。終日夜以此爲戲樂、國殆成俗。
新字:范氏有子曰子華、善養私名、舉国服之、有寵於晋君、不仕而居三卿之右。目所偏視、晋国爵之、口所偏肥、晋国黜之。游其庭者侔於朝。子華使其侠客以智鄙相攻、彊弱相凌。雖傷破於前、不用介意。終日夜以此為戯楽、国殆成俗。
書き下し
范氏に子有り子華と曰う。善く私名を養い、國を舉げて之に服す。晉君に寵有り、仕えずして三卿の右に居る。目の偏視する所、晉國之に爵し、口の偏肥する所、晉國之を黜く。其の庭に游ぶ者は朝に侔し。子華其の俠客をして智鄙を以て相い攻め、彊弱相い凌がしむ。前に傷破すと雖も、意に介するを用いず。終日夜此を以て戲樂と爲し、國殆ど俗を成せり。
現代語訳
范氏に子華という子がいた。私的な名声を育てるのがうまく、国じゅうが彼になびいた。晋の君の寵愛を受け、官職に就かないまま三人の大臣より上の位置にいた。彼がちらりと目をかけた者は、晋の国が爵位を与え、彼が口の端にのぼせて悪く言った者は、晋の国が退けた。彼の屋敷に出入りする者の数は、朝廷に匹敵した。子華は食客たちに、知恵のある者と愚かな者を競わせ、強い者と弱い者を踏みつけ合わせた。目の前で傷つき壊れる者が出ても、まったく気にかけない。朝から晩までこれを遊びとし、国じゅうがほとんどそれを風習にしてしまった。
解説
公式の役職に就いていない人物が、実質的に人事を握っている。目をかけた者に爵位が与えられ、悪く言った者が退けられる。組織の正式な決定機構の外側に、もう一つの決定機構ができている状態です。しかも彼が食客にさせていたのは、知恵と愚かさ、強さと弱さで競わせて踏みつけ合わせることでした。傷つく者が出ても意に介さない。そして最後の一行が効きます。国じゅうがそれを風習にしてしまった。上位者の遊びは、下では規範になります。社長が誰かを軽んじる冗談を一度言えば、それは組織の許可証として流通します。この段は英雄譚ではなく、次に出てくる商丘開という無力な老人を迎え入れる、その舞台装置の説明です。
この章句が説くこと
子華私名を養う目の偏視する所晉国之に爵す目の偏視する所晋国之に爵す国殆ど俗を成せり
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