列子 / 黄帝篇
自此之後、范氏門徒路遇乞兒馬醫、弗敢辱也、必下車而揖之。宰我聞之、以告仲尼。仲尼曰:「汝弗知乎?夫至信之人、可以感物也。動天地、感鬼神、橫六合、而無逆者、豈但履危險、入水火而已哉?商丘開信僞物猶不逆、況彼我皆誠哉?小子識之!」
新字:自此之後、范氏門徒路遇乞児馬医、弗敢辱也、必下車而揖之。宰我聞之、以告仲尼。仲尼曰:「汝弗知乎?夫至信之人、可以感物也。動天地、感鬼神、横六合、而無逆者、豈但履危険、入水火而已哉?商丘開信偽物猶不逆、況彼我皆誠哉?小子識之!」
書き下し
此れより後、范氏の門徒、路に乞兒馬醫に遇うも、敢えて辱めざるなり。必ず車を下りて之に揖す。宰我之を聞き、以て仲尼に告ぐ。仲尼曰く、汝知らざるか。夫れ至信の人は、以て物を感ぜしむべきなり。天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、六合に橫たわりて、逆らう者無し。豈に但だ危險を履み、水火に入るのみならんや。商丘開は僞物を信じて猶お逆らわず。況んや彼我皆な誠なるをや。小子之を識せ、と。
現代語訳
これ以後、范氏の門下の者たちは、道で物乞いの子どもや馬の医者に出会っても、あえて辱めることをしなくなった。必ず車を降りて会釈した。宰我はこの話を聞いて、孔子に伝えた。孔子は言った。「お前は知らないのか。まことに信じきった人は、物を感じ動かすことができる。天地を動かし、鬼神を感じさせ、天地四方に広がって、逆らうものがない。危うい場所を歩いたり、水や火に入ったりするだけのことではない。商丘開は偽りを信じてさえ、なお逆らわれなかった。まして、こちらも相手も誠であればどうであろう。若い者よ、覚えておきなさい」。
解説
長い話の結びで、二つのことが起きます。一つは范氏の門下の変化です。物乞いの子どもや馬医者にも車を降りて会釈するようになった。彼らが学んだのは道ではなく、誰を侮ってよいかを自分は判断できない、という一点でした。実務ではこれで十分です。もう一つは孔子の評。商丘開は偽りを信じてさえ逆らわれなかった、まして双方が誠であればどうか、と。ここで話は個人の境地から関係の話に移ります。信が強いのは、信じる側が強いからではなく、信が関係を成立させるからだ、という読み方です。取引でも社内でも、疑いから入る関係は疑いの分だけ動きが鈍る。誠を先に出すのは、道徳ではなく効率の話でもあります。
この章句が説くこと
至信の人は以て物を感ぜしむべし車を下りて之に揖す偽物を信じて猶お逆らわず
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