顔氏家訓 / 風操
近在議曹、共平章百官秩祿、有一顯貴、當世名臣、意嫌所議過厚。齊朝有一兩士族文學之人、謂此貴曰:「今日天下大同、須爲百代典式、豈得尙作關中舊意?明公定是陶朱公大兒耳!」彼此歡笑、不以爲嫌。
新字:近在議曹、共平章百官秩禄、有一顕貴、当世名臣、意嫌所議過厚。斉朝有一両士族文学之人、謂此貴曰:「今日天下大同、須為百代典式、豈得尙作関中旧意?明公定是陶朱公大児耳!」彼此歓笑、不以為嫌。
書き下し
近ごろ議曹に在り、共に百官の秩禄を平章す。一顕貴有り、当世の名臣なり。意に議する所の過ぎて厚きを嫌う。斉朝に一両の士族文学の人有り、此の貴に謂いて曰く、「今日天下大同なり。須らく百代の典式と為すべし。豈に尚お関中の旧意を作すを得んや。明公は定めて是れ陶朱公の大児のみ」と。彼此歓笑して、以て嫌と為さず。
現代語訳
近ごろ議曹に出て、みなで百官の俸禄を審議した。ある高位の人がいて、当代の名臣であったが、審議された額が手厚すぎると難色を示した。北斉の士族で文学の心得のある一、二の人が、この高官に言った。「今日は天下が統一されたのです。百代の手本となる制度を作らねばなりません。どうしてまだ関中のやり方を持ち出すのですか。あなたはさしずめ陶朱公の長男というところですね」。互いに笑い合って、気を悪くすることはなかった。
解説
陶朱公の長男とは、范蠡の故事で、金を惜しんだために弟を救えなかった人物です。俸禄を惜しむ高官に、その名を当てはめた。かなり際どい当てこすりですが、双方が笑って終わりました。ここに書かれているのは、批判が成立する条件です。相手が当代の名臣で、言う側は文学の素養がある。故事を共有しているから、直接の非難ではなく引喩として通じる。そして公の審議の場である。批判が人格攻撃にならずに済む条件が揃っていました。言いにくいことを言うとき、直言以外の形をどれだけ持っているかは、実務上の武器になります。共通の教養は、その形を成り立たせる土台です。
この章句が説くこと
陶朱公の大児百代の典式彼此歓笑す批判の形諫言
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