列子 / 黄帝篇
今女居先生之門、曾未浹時、而懟憾者再三。女之片體將氣所不受、汝之一節將地所不載。履虛乘風、其可幾乎?」尹生甚怍、屏息良久、不敢復言。
新字:今女居先生之門、曽未浹時、而懟憾者再三。女之片体将気所不受、汝之一節将地所不載。履虚乗風、其可幾乎?」尹生甚怍、屏息良久、不敢復言。
書き下し
今女先生の門に居ること、曾て未だ時に浹からずして、懟憾すること再三なり。女の片體すら將に氣の受けざる所ならんとし、汝の一節すら將に地の載せざる所ならんとす。虛を履み風に乘ること、其れ幾うべけんや、と。尹生甚だ怍じ、息を屏むること良や久しく、敢えて復た言わず。
現代語訳
「いまお前は先生の門にいて、ひと季節も経たないうちに、二度も三度も恨みごとを言った。お前の体の一部さえ、気は受け入れようとせず、お前の一節さえ、地は載せようとしないだろう。虚空を踏み風に乗ることなど、望めるはずがない」。尹生はひどく恥じ入り、長いあいだ息を殺して、二度と口をきかなかった。
解説
九年の話を聞かせたあとで、列子は突き放します。ひと季節も経たずに二度三度と恨みごとを言う人間に、風に乗ることなど望めない、と。恨みが出ること自体が問題なのではありません。九年の話の三年目、つまり善悪と損得を口にしない段階にすら、まだ入っていないという診断です。学ぶ側にとって残酷ですが、教える側にとっては正確な言葉です。「才能がない」でも「熱意が足りない」でもなく、どの段階にいるかを告げている。人を育てるとき、できない相手に必要なのは励ましでも叱責でもなく、いま何合目にいるかの認識です。ただし列子は、それを最初には言わず、九年の道のりを先に語ってから告げました。順番がすべてです。
この章句が説くこと
未だ時に浹からずして懟憾すること再三虚を履み風に乗る幾うべけんや慢心向上心
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