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列子 / 黄帝篇

列子曰:「曩吾以汝爲達、今汝之鄙至此乎?姬!將告汝所學於夫子者矣。自吾之事夫子友若人也、三年之後、心不敢念是非、口不敢言利害、始得夫子一眄而已。五年之後、心庚念是非、口庚言利害、夫子始一解顏而笑。七年之後、從心之所念、庚無是非、從口之所言、庚無利害、夫子始一引吾并席而坐。九年之後、橫心之所念、橫口之所言、亦不知我之是非利害歟、亦不知彼之是非利害歟、亦不知夫子之爲我師、若人之爲我友、內外進矣。而後眼如耳、耳如鼻、鼻如口、無不同也。心凝形釋、骨肉都融、不覺形之所倚、足之所履、隨風東西、猶木葉幹殼。竟不知風乘我邪?我乘風乎?

新字:列子曰:「曩吾以汝為達、今汝之鄙至此乎?姬!将告汝所学於夫子者矣。自吾之事夫子友若人也、三年之後、心不敢念是非、口不敢言利害、始得夫子一眄而已。五年之後、心庚念是非、口庚言利害、夫子始一解顏而笑。七年之後、従心之所念、庚無是非、従口之所言、庚無利害、夫子始一引吾并席而坐。九年之後、横心之所念、横口之所言、亦不知我之是非利害歟、亦不知彼之是非利害歟、亦不知夫子之為我師、若人之為我友、内外進矣。而後眼如耳、耳如鼻、鼻如口、無不同也。心凝形釈、骨肉都融、不覚形之所倚、足之所履、随風東西、猶木葉幹殼。竟不知風乗我邪?我乗風乎?

書き下し

列子曰く、曩に吾汝を以て達と爲す。今汝の鄙なること此に至れるか。姬、將に汝に夫子に學ぶ所の者を告げん。吾の夫子に事え若人を友としてより、三年の後、心に敢えて是非を念わず、口に敢えて利害を言わず、始めて夫子の一眄を得たるのみ。五年の後、心に庚めて是非を念い、口に庚めて利害を言うも、夫子始めて一たび顏を解きて笑う。七年の後、心の念う所に從いて、庚めて是非無く、口の言う所に從いて、庚めて利害無し。夫子始めて一たび吾を引きて席を并べて坐す。九年の後、心の念う所を橫ままにし、口の言う所を橫ままにするも、亦た我の是非利害を知らず、亦た彼の是非利害を知らず、亦た夫子の我が師たるを知らず、若人の我が友たるを知らず。內外進めり。而して後に眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く、同じからざる無し。心凝り形釋け、骨肉都て融け、形の倚る所、足の履む所を覺えず。風に隨いて東西すること、猶お木葉幹殼のごとし。竟に知らず、風の我に乘るか、我の風に乘るか、と。

現代語訳

列子は言った。「以前、私はお前を物分かりのよい人間だと思っていた。いまのお前の卑しさは、そこまでのものか。まあよい、私が師から学んだことを教えよう。私が師に仕え、あの人を友としてから三年たって、心に善し悪しを思い浮かべず、口に損得を言わなくなった。それでようやく師が一度ちらりと目を向けてくれた。五年たって、心にあらためて善し悪しを思い、口にあらためて損得を言えるようになった。すると師ははじめて顔をほころばせて笑った。七年たって、心の思うままにしても善し悪しがなく、口の言うままにしても損得がなくなった。師ははじめて私を引き寄せ、同じ席に並んで座らせた。九年たって、心の思うままにし、口の言うままにしても、自分に善し悪しや損得があるのかも分からず、相手にあるのかも分からず、師が私の師であることも、あの人が私の友であることも分からなくなった。内と外の区別がなくなったのだ。そのあと、目は耳のようであり、耳は鼻のようであり、鼻は口のようであり、どれも同じになった。心は凝り固まり、形はほどけ、骨も肉もすべて溶けて、体が何に寄りかかっているのか、足が何を踏んでいるのかも分からない。風のままに東へ西へ動くのは、木の葉や乾いた殻のようだった。ついに分からなくなった。風が私に乗っているのか、私が風に乗っているのかを」。

解説

九年の修行が、一年ごとの到達ではなく、三年・五年・七年・九年という節目で語られます。面白いのは順序です。三年目で善悪も損得も口にしなくなった。しかし五年目には、また思い、また言うようになる。禁じた段階から、禁じなくてよくなった段階への移行です。七年目には思うままにしても善悪が出てこない。九年目には、自分と他人、師と弟子の区別すら消える。禁止から自然へ、という順序は、どんな技能の習得にも当てはまります。最初は型で自分を縛り、次に縛りを外しても崩れなくなる。多くの人は三年目で止まり、それを完成だと思ってしまう。そして最後の一行が有名です。風に乗っているのか、乗られているのか分からない。主体が消えたところが到達点として置かれています。

この章句が説くこと

三年五年七年九年心に敢えて是非を念わず心凝り形釈く風の我に乗るか我の風に乗るか

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