荘子 / 寓言
顏成子游謂東郭子綦曰:自吾聞子之言,一年而野,二年而從,三年而通,四年而物,五年而來,六年而鬼入,七年而天成,八年而不知死、不知生,九年而大妙。
新字:顔成子游謂東郭子綦曰:自吾聞子之言,一年而野,二年而従,三年而通,四年而物,五年而来,六年而鬼入,七年而天成,八年而不知死、不知生,九年而大妙。
書き下し
顔成子游(がんせいしゆう)東郭子綦(とうかくしき)に謂いて曰く、「吾子の言を聞きてより、一年にして野、二年にして従、三年にして通、四年にして物、五年にして来、六年にして鬼入り、七年にして天成り、八年にして死を知らず生を知らず、九年にして大妙なり」と。
現代語訳
顔成子游が東郭子綦に言った。「私はあなたの言葉を聞いてから、一年で飾りが取れて野暮になり、二年で人に従えるようになり、三年で物事に通じ、四年で物と一体になり、五年で人が集まってくるようになり、六年で霊妙なものが入り込み、七年で天のはたらきが成り、八年で死も生も分からなくなり、九年で大いなる玄妙に至りました」。
解説
九年間の変化を、一年ごとに列挙した一段です。注目したいのは、最初の一年が「野暮になる」ことです。学び始めて、まず起きるのは、洗練が失われることでした。飾りが取れ、不格好になる。それから従い、通じ、一体になり、人が集まり、霊妙が入り、天が成り、そして生死が分からなくなる。上達の道は、まず不格好になることから始まるのです。すぐに洗練されるものは、表面をなぞっているだけかもしれません。
この章句が説くこと
九年の変化一年にして野まず不格好になる上達の道筋
関連する章句
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『列子』仲尼篇子列子の學ぶや、三年の後、心に敢えて是非を念わず、口に敢えて利害を言わず、始めて老商の一眄を得たるのみ。五年の後、心更めて是非を念い、口更めて利害を言う。老商始めて一たび顏を解きて笑う。七年の後、心の念う所に從いて、更めて是非無く、口の言う所に從いて、更めて利害無し。夫子始めて一たび吾を引きて席を並べて坐す。九年の後、心の念う所を橫ままにし、口の言う所を橫ままにするも、亦た我の是非利害を知らず、亦た彼の是非利害を知らず。外内進めり。而して後に眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く、口として同じからざる無し。心凝り形釋け、骨肉都て融け、形の倚る所、足の履む所、心の念う所、言の藏する所を覺えず。斯くの如きのみ、則ち理に隱るる所無し。
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