列子 / 黄帝篇
黃帝既寤、怡然自得、召天老、力牧、太山稽、告之曰:「朕閒居三月、齋心服形、思有以養身治物之道、弗獲其術。疲而睡、所夢若此。今知至道不可以情求矣、朕知之矣、朕得之矣、而不能以告若矣!」又二十有八年、天下大治、幾若華胥氏之國、而帝登假。百姓號之、二百餘年不輟。
新字:黄帝既寤、怡然自得、召天老、力牧、太山稽、告之曰:「朕閒居三月、斎心服形、思有以養身治物之道、弗獲其術。疲而睡、所夢若此。今知至道不可以情求矣、朕知之矣、朕得之矣、而不能以告若矣!」又二十有八年、天下大治、幾若華胥氏之国、而帝登仮。百姓号之、二百余年不輟。
書き下し
黄帝既に寤め、怡然として自得し、天老・力牧・太山稽を召し、之に告げて曰く、朕閒居すること三月、心を齋し形を服し、身を養い物を治むるの道有らんことを思うも、其の術を獲ず。疲れて睡り、夢む所此くの若し。今至道は情を以て求むべからざるを知れり。朕之を知れり、朕之を得たり。而れども以て若に告ぐる能わず、と。又た二十有八年、天下大いに治まり、幾ど華胥氏の國の若し。而して帝登假す。百姓之を號すること、二百餘年輟まず。
現代語訳
黄帝は目覚めると、晴れやかに得心して、天老・力牧・太山稽を呼び、彼らに告げた。「私は三か月静かに暮らし、心を清め身をととのえ、身を養い物を治める道はないかと考えたが、その術は得られなかった。疲れて眠り、見た夢がこれである。いま分かった。至高の道は、求める心では求められない。私はそれを知った。私はそれを得た。それなのに、お前たちに伝えることができない」。それから二十八年、天下はよく治まり、ほとんど華胥氏の国のようになった。そして黄帝は世を去った。民は彼を慕って呼び続け、二百年あまりやまなかった。
解説
三か月考えても得られず、あきらめて眠った夢のなかで得た。ここが第一の要点です。「至道は情を以て求むべからず」――求める気持ちで求めているうちは届かない。第二の要点はその後です。分かった、得た、それなのに伝えられない、と黄帝は言います。手に入れた当人が、言葉にできない。だからこそ、そのあとの二十八年で天下が治まったという書き方が効いてきます。伝えられなかったのに治まった。つまり彼は説明ではなく、自分のありようで組織を変えた。経営者が学んだことを社内に落とし込もうとして、研修や資料に変換した瞬間に効かなくなる経験は、これと同じ構造です。伝わるのは説明ではなく、あなたの状態のほうです。
この章句が説くこと
至道は情を以て求むべからず朕之を得たり而れども告ぐる能わず華胥氏の国の若し無為委任
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