列子 / 天瑞篇
或謂子列子曰:「子奚貴虛?」列子曰:「虛者無貴也。」子列子曰:「非其名也、莫如靜、莫如虛。靜也虛也、得其居矣、取也與也、失其所矣。事之破䃣而後有舞仁義者、弗能復也。」
新字:或謂子列子曰:「子奚貴虚?」列子曰:「虚者無貴也。」子列子曰:「非其名也、莫如静、莫如虚。静也虚也、得其居矣、取也与也、失其所矣。事之破䃣而後有舞仁義者、弗能復也。」
書き下し
或るひと子列子に謂いて曰く、子奚ぞ虛を貴ぶ、と。列子曰く、虛なる者に貴ぶこと無し、と。子列子曰く、其の名に非ざるなり。靜に如くは莫く、虛に如くは莫し。靜なり虛なり、其の居を得たり。取るなり與うるなり、其の所を失えり。事の破䃣して後に仁義を舞わす者有るは、復する能わざるなり、と。
現代語訳
ある人が列子に尋ねた。「あなたはどうして虚を貴ぶのですか」。列子は言った。「虚には貴ぶということがありません」。そして続けて言った。「そもそも名で呼ぶべきものではない。静に及ぶものはなく、虚に及ぶものはない。静であり虚であれば、あるべきところに落ち着いている。奪おうとし、与えようとした時点で、その場所を失っている。事がすっかり壊れてから仁義を振りかざす者がいるが、もう元には戻せない」。
解説
「虚を貴ぶ」と言われた瞬間に、列子は否定します。貴ぶとは価値を置くことで、価値を置いた時点でそれは虚ではなくなるからです。名前を付けて掲げた瞬間に中身が抜ける、という話でもあります。後半が実務的です。取ろうとする、与えようとする、どちらも動いた時点であるべき場所を離れている。そして最後の一行、事が壊れきってから仁義を振りかざしても元には戻せない。組織が傷んでから理念を掲げ直す動きは、たいていこれに当たります。掲げること自体が悪いのではなく、順序が逆なのです。静かに保たれていた時期には誰も言葉にしなかったものを、壊れてから言葉にしても、言葉のほうしか残りません。
この章句が説くこと
虚なる者に貴ぶこと無し静に如くは莫し事破れて後に仁義を舞わす
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