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列子 / 天瑞篇

子列子適衛、食於道、從者見百歲髑髏、攓蓬而指、顧謂弟子百豐曰:「唯予與彼知而未嘗生未嘗死也。此過養乎?此過歡乎?

新字:子列子適衛、食於道、従者見百歳髑髏、攓蓬而指、顧謂弟子百豊曰:「唯予与彼知而未嘗生未嘗死也。此過養乎?此過歓乎?

書き下し

子列子衛に適き、道に食す。從者百歲の髑髏を見る。蓬を攓きて指し、顧みて弟子百豐に謂いて曰く、唯だ予と彼とのみ、未だ嘗て生きず未だ嘗て死せざるを知るなり。此れ養を過ぐるか。此れ歡を過ぐるか。

現代語訳

列子が衛へ向かう途中、道ばたで食事をした。供の者が、百年たった髑髏を見つけた。列子は生い茂った蓬をかき分けてそれを指さし、弟子の百豊を振り返って言った。「この髑髏と私だけが、生きたこともなく死んだこともないと知っている。さて、生きているこの私が、それほど恵まれているだろうか。それほど楽しいだろうか」。

解説

道ばたの髑髏を指して、「これと私だけがわかっている」と言う。奇妙な言い方ですが、生と死を二つの状態と見なければこうなります。生きているあいだも死んでからも、同じ一つの流れの上にいる。だから「生きたこともなく、死んだこともない」。そのうえで列子は、生きている側が得をしているとは限らないと問い返します。ここで大事なのは慰めではなく、順番です。まず線を消してから、それでも生きている今日をどう扱うかを考える。死を忌避したまま生を励ますより、線を一度消したほうが、今日の一日は軽くなります。経営でも、撤退や引退を不吉なものとして視界の外に置く限り、いま何をすべきかは決まりません。

この章句が説くこと

百歳の髑髏未だ嘗て生きず未だ嘗て死せず養を過ぐるか

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