列子 / 天瑞篇
亶爰之獸自孕而生曰類。河澤之鳥視而生曰鶂。純雌其名大𦝫、純雄其名稺蜂。思士不妻而感、思女不夫而孕。后稷生乎巨蹟、伊尹生乎空桑。厥昭生乎濕。醯雞生乎酒。羊奚比乎不筍。久竹生青寧、青寧生程、程生馬、馬生人。人久入於機。萬物皆出於機、皆入於機。」
新字:亶爰之獣自孕而生曰類。河沢之鳥視而生曰鶂。純雌其名大𦝫、純雄其名稺蜂。思士不妻而感、思女不夫而孕。后稷生乎巨跡、伊尹生乎空桑。厥昭生乎湿。醯雞生乎酒。羊奚比乎不筍。久竹生青寧、青寧生程、程生馬、馬生人。人久入於機。万物皆出於機、皆入於機。」
書き下し
亶爰の獸は自ら孕みて生む、類と曰う。河澤の鳥は視て生む、鶂と曰う。純雌なる其の名は大𦝫、純雄なる其の名は稺蜂。思士は妻あらずして感じ、思女は夫あらずして孕む。后稷は巨蹟より生じ、伊尹は空桑より生ず。厥昭は濕より生じ、醯雞は酒より生ず。羊奚は不筍に比す。久竹は青寧を生じ、青寧は程を生じ、程は馬を生じ、馬は人を生ず。人は久しくして機に入る。萬物は皆な機より出で、皆な機に入る。
現代語訳
亶爰の獣は自分だけで孕んで子を生む。これを類という。河や沢の鳥は見つめ合うだけで子を生む。これを鶂という。雌ばかりの虫を大𦝫といい、雄ばかりの虫を稺蜂という。思士は妻がなくても感じ、思女は夫がなくても孕む。后稷は大きな足跡から生まれ、伊尹は桑の洞から生まれた。厥昭は湿気から生じ、醯雞(酒の小虫)は酒から生じる。羊奚は筍にならない竹と結びつく。古い竹は青寧を生み、青寧は程を生み、程は馬を生み、馬は人を生む。人は長い時を経て、また機に入る。万物はみな機から出て、みな機に入る。
解説
「万物は皆な機より出で、皆な機に入る」。この一行がこの長い目録の結びであり、天瑞篇の主題です。機とは、ものを生じさせる微かなはたらき、いわば入口であり出口です。竹から馬が生まれ、馬から人が生まれ、人はまた機に還る。系統としては荒唐無稽ですが、言っていることは一つで、出てきたところと還るところは同じだということ。始まりと終わりを別の場所に置かないという見方です。事業も人の職歴も、始点と終点を別の物語にすると、終わりが必ず敗北の形をとります。同じ機に還ると考えれば、終わり方は始まり方と同じ重さで設計できます。
この章句が説くこと
万物は皆な機より出で皆な機に入る程は馬を生じ馬は人を生ず后稷伊尹陰陽
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