二宮翁夜話 / 続篇
斎藤高行曰く、儒者仏者に問ふて曰く、地獄の釜は誰が作りしぞと。仏者答へて郭公が掘出せし黄金の釜と同作なりといへり、面白き咄に候はずやと。翁曰く、面白し、されど智者の言にして仁者の言にあらず、称するに足らず。
書き下し
斎藤高行(さいとうたかゆき)曰く、儒者仏者に問ふて曰く、地獄の釜は誰が作りしぞと。仏者答へて郭公(ほととぎす)が掘出せし黄金の釜と同作なりといへり、面白き咄(はなし)に候はずやと。翁(おきな)曰く、面白し、されど智者の言にして仁者の言にあらず、称するに足らず。
現代語訳
斎藤高行が言った。ある儒者が仏者に「地獄の釜は誰が作ったのか」と尋ねた。すると仏者は「ほととぎすが掘り出した黄金の釜と同じ作り手だ」と答えた。面白い話ではありませんか、と。翁は言われた。面白い。しかし、それは智者の言葉であって仁者の言葉ではない。ほめるには足りない。
解説
弟子の斎藤高行が紹介した機知に富む禅問答に、尊徳が評を下した一条です。「地獄の釜は誰が作ったか」という問いに、仏者が捉えどころのない譬えで軽妙に返す。尊徳はそれを「面白い」と認めつつ、「智者の言であって仁者の言ではない、ほめるには足りない」と退けます。前条(272)と同じく、尊徳は才知の鋭さより、まごころで人を導く仁を重んじました。報徳の「至誠」を根本に置く尊徳にとって、機知は目的ではなく、人を実際に救い育てる誠実さこそが尊い。現代でも、頭の良さや弁の巧みさより、人への誠実さを上に置く価値観を教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳至誠仁者智者機知
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