二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、毫厘の差、千里の違ひと云ふ事あり、皆人は譬と思へり。予利倍帳を取調べたる時、二ヶ年目の利子、永一文の違ひありたれば、百八十年目に至り、一百四十一万九千八百九十五両永貳百九十四文九分五厘の差となれり。実に毫厘千里なり、譬へにはあらず実事なり、恐るべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、毫厘(ごうりん)の差、千里の違(ちが)ひと云ふ事あり、皆人は譬(たとえ)と思へり。予(よ)利倍帳(りばいちょう)を取調べたる時、二ヶ年目の利子、永(えい)一文の違ひありたれば、百八十年目に至り、一百四十一万九千八百九十五両永貳百九十四文九分五厘の差となれり。実に毫厘千里なり、譬へにはあらず実事(じつじ)なり、恐るべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。「わずかな差が千里の違いになる」という言葉がある。誰もがこれを単なる譬えだと思っている。だが私が利息の計算帳を調べたとき、二年目の利子に永一文(ごくわずかな額)の食い違いがあっただけで、百八十年後には一百四十一万九千八百九十五両と永二百九十四文九分五厘もの差になった。まさに「わずかな差が千里の違い」である。これは譬えではなく、現実に起きる事実だ。恐るべきことである。
解説
「毫厘の差、千里の違い」を、尊徳は譬え話ではなく利息計算の実証で示します。二年目にわずか永一文の狂いがあっただけで、複利で百八十年を経ると百四十万両を超える差になる――積小為大の裏面を鋭く突いた一条です。小さな誤差やわずかな怠りも、時間の積み重ねが途方もない結果を生む。だからこそ最初の一歩を正確に、誠実に踏み出すことが肝心なのだと説きます。日々のわずかな習慣の差が、長い年月の後に大きな人生の差となって現れる――現代の私たちの学びや貯蓄、健康管理にも通じる戒めといえるでしょう。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳毫厘千里積小為大複利誠実
関連する章句
-
『講孟余話』告子下 第二章此の章、徐行疾行を以て孝弟を論じ、言行衣服を以て堯桀を分つ。言浅近なりと云へども、其の然る所以の故を求めば、性の本然道の全体具に茲に存するは勿論なり。然れども心を舎てて言行を論ずるは至論に非ず。若し此の論のみを信ぜば、巧言令色、足恭色荘の者を以て孝弟とし、堯舜とするの誤りあらん。又或は義外の説に陥り、道を以て偽となすに近からん。是れ亦思はざるべからず。故に註に「詳らかにするに曹交の間、浅陋麤率、必ず其の進見の時、礼貌衣冠言動の間、多く礼に循はず、故に孟子之に告ぐること此の両節の如し」と云ふとあり。然れども曹交の浅陋麤率専ら言語上に於て求むべからず。唯言語外に於て其の精神を想像すべし。然らずんば十尺九尺の言浅陋の如しと云へども、上篇第七章足口耳目の喩の如きも亦相類すと云ふべし。故に其の浅陋の所は十尺九尺に非ず、其の言語動作の間少しも精神なきのみ。又梁襄王を以て曹交に比し、其の優劣を臆度せんに、襄王は小才ありて絶えて実心なし。曹交は遅鈍の極みと云へども、却つて少しの実心あり。故に襄王は必ず事を誤る人なり。曹交に至りては却つて大誤なかるべし。千古の人を懸空に論ずるは無益なれども、亦致格の一端ならんか。
-
『格言聯璧』處事類・天下に化すべからざるの人無し眞實の肝膽を以て人を待てば、事未だ必ずしも功を成さずと雖も、日後人必ず我の肝膽を見ん。 詐偽の心腸を以て事に處すれば、人即ひ一時惑ひを受くるも、日後人必ず我の心腸を見ん。 天下に化すべからざるの人無し、但だ誠心の未だ至らざるを恐る。 天下に爲すべからざるの事無し、只だ立志の堅からざるを怕る。
-
史記 扁鵲倉公列伝時に未だ往かざるに、会々慶の子男殷来りて馬を献ず。師光に因りて馬を王の所に奏す。意故を以て殷と善きを得たり。光又意を殷に属して曰く、『意は数を好む。公必ず謹みて之を遇せよ。其の人は聖儒なり』と。即ち書を為りて意を以て陽慶に属す。故を以て慶を知る。臣意慶に事ふること謹む。故を以て意を愛するなり」と。臣意に問ひて曰く、「吏民嘗て事として意の方を学び、及び畢く尽く意の方を得たるもの有りや不や。何れの県里の人ぞ」と。対へて曰く、「臨菑の人宋邑。邑学ぶ。臣意教ふるに五診を以てすること、歳余。済北王太医高期・王禹を遣はして学ばしむ。臣意教ふるに経脈の高下及び奇絡の結、当に俞の居る所を論ずべきこと、及び気の当に上下出入すべき邪正逆順、以て鑱石に宜しきこと、砭灸の処を定むることを以てすること、歳余。菑川王時に太倉の馬長馮信を遣はして方を正さしむ。臣意教ふるに案法逆順、薬法を論じ、五味及び和斉湯法を定むることを以てす。高永侯の家丞杜信、脈を喜み、来り学ぶ。臣意教ふるに上下経脈五診を以てすること、二歳余。臨菑の召里の唐安来り学ぶ。臣意教ふるに五診上下経脈、奇咳、四時陰陽に応ずるの重を以てす。未だ成らずして、除せられて斉王の侍医と為る」と。臣意に問ふ、「病を診し死生を決するに、能く全く失無きか」と。臣意対へて曰く、「意病人を治するに、必ず先づ其の脈を切して、乃ち之を治す。敗逆なる者は治すべからず。其の順なる者は乃ち之を治す。心脈に精しからず、期する所の死生、治すべきを視るに、時時之を失す。臣意全くする能はざるなり」と。太史公曰く、女は美悪と無く、宮に居れば妒まる。士は賢不肖と無く、朝に入れば疑はる。故に扁鵲は其の伎を以て殃せられ、倉公乃ち跡を匿して自ら隠れて刑に当たる。緹縈尺牘を通じ、父以て後に寧きを得たり。故に老子曰く、「美好なる者は不祥の器なり」と。豈に扁鵲等を謂ふか。倉公の若き者は、之に近しと謂ふべし。手の三陽の脈は、手より頭に至るまで長さ五尺、五六合して三丈。
-
尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
-
説苑・說叢士は利を以て移らず、患を為して改めず、孝敬忠信の事立てば、死すと雖も悔いず。智にして私を用うるは、愚にして公を用うるに如かず。故に曰く、巧偽は拙誠に如かずと。學問倦まざるは、己を治むる所以なり。教誨厭わざるは、人を治むる所以なり。虛無を貴ぶ所以の者は、變に應じて時に合するを得ればなり。冠故しと雖も、必ず首に加う。履新たなりと雖も、必ず足に關す。上下分有り、相倍くべからず。一心は以て百君に事うべく、百心は以て一君に事うべからず。故に曰く、心を正しくし、又た言を少なくせよと。
-
『囲炉夜話』第五十三則・世上は皆な苦人天下に憨人無し、豈に妄りに欺詐を行ふべけんや。世上は皆な苦人なり、何ぞ能く獨り安閑を享けんや。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る