師導古典を学びたいすべての人に

二宮翁夜話 / 巻之四

翁曰、飲食店に登りて、人に酒食を振舞ふとも、払ひがなければ、馳走せしとは云可らず、不義の財を以てせば、日々三牲の養を用ふといへ共、何ぞ孝行とせん、禹王の飲食を薄うし衣服を悪うし、と云るが如く、出所が慥ならざれば孝行にはあらぬなり、或人の発句に「和らかにたけよことしの手作麦」、是能其情を尽せり、和らかにと云一言に孝心顕れ、一家和睦の姿も能見えたり、手作麦と云るに親を安ずるの意言外にあふる、よき発句なるべし。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、飲食店に登りて、人に酒食を振舞(ふるま)ふとも、払(はら)ひがなければ、馳走(ちそう)せしとは云ふ可(べか)らず、不義の財(ざい)を以てせば、日々三牲(さんせい)の養(やしない)を用ふといへ共、何ぞ孝行とせん、禹(う)王の飲食を薄(うす)うし衣服を悪(あし)うし、と云(いえ)るが如く、出所(でどころ)が慥(たしか)ならざれば孝行にはあらぬなり、或人の発句に「和らかにたけよことしの手作麦」、是(これ)能(よく)其情を尽(つく)せり、和らかにと云ふ一言に孝心顕(あらわ)れ、一家和睦(わぼく)の姿(すがた)も能見えたり、手作麦と云(いえ)るに親を安ずるの意言外にあふる、よき発句なるべし。

現代語訳

翁が言われた。飲食店に上がって人に酒や食事を振る舞っても、その代金を払っていなければ、ご馳走したとは言えない。不正な手段で得た金で、たとえ毎日立派なご馳走を親に供えたとしても、どうしてそれが孝行といえよう。禹王が自分の飲食を質素にし衣服を粗末にした、と言われるように、出どころが確かでなければ孝行ではないのだ。ある人の発句に「柔らかに、たけよ(実れ)、今年の手作りの麦」とある。これはよくその心情を言い尽くしている。「柔らかに」という一言に親を思う孝心が表れ、一家が仲むつまじい姿もよく見える。「手作麦」という言葉には、自分の手で作って親を安心させたいという思いが言外にあふれている。よい発句というべきだ。

解説

尊徳は、孝行の本質は供え物の豪華さではなく、その財の「出どころ」の正しさにあると説きます。不正な金でご馳走を並べても孝行にはならず、禹王のように自らは質素を守ってこそ真の徳がある、というのです。引かれた「和らかにたけよことしの手作麦」の句は、自分の手で正直に働いて得た麦で親を養う、その素朴な誠実さを称えたものです。報徳思想では、至誠と勤労に裏打ちされた行いだけが本物の徳とされます。見栄えや形式ではなく、汗して得たものを分かち合う心――現代でも、贈り物や成果の価値は、その背後にある誠実さで決まることを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳至誠孝行勤労不義の財

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる