二宮翁夜話 / 巻之四
大和田山城、楠公の旗の文也とて、左の文を写し来りて真偽如何と問ふ。非は理に勝つ事あたはず、理は法に勝つ事あたはず、法は権に勝つ事あたはず、権は天に勝つ事あたはず、天は明らかにして私なし。翁曰、理法権と云ふ事は、世に云ふ事なり、非理法権天と云へるは珍し、世の中は此文の通り也、如何なる権力者も、天には決して勝つ事出来ぬなり、譬ば理ありとて頼むに足らず、権に押さるゝ事あり、且理を曲ても法は立つべし、権を以て法をも圧すべし、然といへ共、天あるを如何せん、俗歌に「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」と云り、其如く人と人との上は、智力にても、弁舌にても、威権にても通らば通るべけれど、天あるを如何せん、智力にても、弁舌にても、威権にても、決して通る事の出来ぬは天なり、此理を仏には無門関と云り、故に平氏も源氏も長久せず、織田氏も豊臣氏も二代と続ざるなり、されば恐るべきは天なり、勤むべきは事天の行ひなり、世の強欲者、此理を知らず、何処迄も際限なく、身代を大にせんとして、智を振ひ腕を振ふといへども、種々の手違ひ起りて進む事能はず、又権謀威力を頼んで専ら利を計るも、同じく失敗のみありて、志を遂る事能はざる、皆天あるが故なり、故に大学には、止る処を知れ、と教へたり、止る処を知れば、漸々進むの理あり、止る処を知らざれば、必退歩を免れず、漸々退歩すれば終に滅亡すべきなり、且天は明かにして私なしと云り、私なければ誠なり、中庸に、誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり、とあり、之を誠にするとは、私を去るを云、則己に克つなり、六かしき事はあらじ、其理よく聞えたり、其真偽に至ては予が知る処にあらず。
書き下し
大和田山城(おおわだやましろ)、楠公(なんこう)の旗(はた)の文(もん)也(なり)とて、左(さ)の文を写(うつ)し来(きた)りて真偽(しんぎ)如何(いかん)と問ふ。非(ひ)は理(り)に勝つ事あたはず、理は法(ほう)に勝つ事あたはず、法は権(けん)に勝つ事あたはず、権は天(てん)に勝つ事あたはず、天は明らかにして私(わたくし)なし。翁(おきな)曰(いわ)く、理法権と云ふ事は、世に云ふ事なり、非理法権天と云へるは珍(めずら)し、世の中は此の文の通り也。如何(いか)なる権力者も、天には決して勝つ事出来ぬなり。譬(たと)へば理ありとて頼(たの)むに足らず、権に押(お)さるゝ事あり。且(かつ)理を曲げても法は立つべし、権を以て法をも圧(あっ)すべし。然(しか)といへ共(ども)、天あるを如何(いかん)せん。俗歌に「箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川」と云へり。其(そ)の如く人と人との上は、智力(ちりょく)にても、弁舌(べんぜつ)にても、威権(いけん)にても通らば通るべけれど、天あるを如何せん。智力にても、弁舌にても、威権にても、決して通る事の出来ぬは天なり。此の理を仏には無門関(むもんかん)と云へり。故に平氏(へいし)も源氏(げんじ)も長久(ちょうきゅう)せず、織田(おだ)氏も豊臣(とよとみ)氏も二代と続(つづ)かざるなり。されば恐(おそ)るべきは天なり、勤(つと)むべきは天に事(つか)ふるの行ひなり。世の強欲(ごうよく)者、此の理を知らず、何処(いずこ)迄も際限(さいげん)なく、身代を大にせんとして、智を振(ふる)ひ腕を振ふといへども、種々の手違ひ起りて進む事能(あた)はず。又権謀(けんぼう)威力を頼(たの)んで専(もっぱ)ら利を計(はか)るも、同じく失敗のみありて、志を遂(と)ぐる事能はざるは、皆天あるが故なり。故に大学(だいがく)には、止(とど)まる処を知れ、と教へたり。止まる処を知れば、漸々(ぜんぜん)進むの理あり、止まる処を知らざれば、必ず退歩(たいほ)を免(まぬか)れず、漸々退歩すれば終(つい)に滅亡(めつぼう)すべきなり。且(かつ)天は明かにして私なしと云へり。私なければ誠なり。中庸(ちゅうよう)に、誠なれば明らかなり、明らかなれば誠なり、誠は天の道なり、之(これ)を誠にするは人の道なり、とあり。之を誠にするとは、私を去るを云ふ、則ち己(おのれ)に克(か)つなり。六(むずか)しき事はあらじ、其の理よく聞えたり、其の真偽に至りては予(よ)が知る処にあらず。
現代語訳
大和田山城が、楠木正成の旗の文言だといって、次の文を書き写して持ってきて、真偽はどうかと尋ねた。「非は理に勝てず、理は法に勝てず、法は権に勝てず、権は天に勝てず、天は明らかにして私心がない」。翁が言われた。「理・法・権」というのは世間でよく言うことだが、「非理法権天」と言ったのは珍しい。世の中はまさにこの文言のとおりだ。どんな権力者も、天には決して勝てない。たとえば道理があるといっても頼りにならず、権力に押さえつけられることがある。また道理を曲げてでも法は成り立つし、権力で法をねじ伏せることもできる。しかし、天があるのをどうしよう。俗歌に「箱根八里は馬でも越すが、馬では越せない大井川」とある。そのように、人と人との間なら知力でも弁舌でも権勢でも押し通せることはあるが、天があるのをどうしよう。知力でも弁舌でも権勢でも決して通用しないのが天だ。この道理を仏教では無門関という。だから平氏も源氏も長続きせず、織田氏も豊臣氏も二代と続かなかった。恐れるべきは天であり、勤めるべきは天に仕える行いである。世の強欲な者はこの道理を知らず、際限なく身代を大きくしようと知力を振るい腕を振るっても、さまざまな手違いが起きて進めない。また権謀や威力を頼んでもっぱら利益をはかっても、同じように失敗ばかりで志を遂げられないのは、みな天があるからだ。だから『大学』には「止まるところを知れ」と教えている。止まるところを知れば少しずつ進む道理があり、止まるところを知らなければ必ず後退を免れず、しだいに後退すればついには滅びる。また天は明らかで私心がないという。私心がなければ誠である。『中庸』には「誠であれば明らかであり、明らかであれば誠である。誠は天の道であり、これを誠にするのは人の道である」とある。これを誠にするとは、私心を去ることをいい、すなわち己に克つことだ。難しいことではない。その道理はよく分かる。ただ、その真偽については私の知るところではない。
解説
この章句が説くこと
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『初学訓』巻之一一天につかへておこたらずとは、人となる者、只朝夕天道の眼前にありて遠からざることを思ひ、つねに天道を畏れ敬ひてあなどらず、かりにも天道をそむき無道のことをなすべからず。天道にしたがひてそむかず、わが身をへりくだりて、人をあなどりほこらず、欲をこらへてほしいままにせず、天地の生みていつくしみ給ふ人倫をあつくあはれみて、あなどらずそこなはず。天地の、人のためにつくり出し給ふ五穀と万のたからを、わが一人の欲のためにみだりにつひやさず。次に、鳥獣虫魚の生ける物をみだりにころさず、草木をも時ならずしてみだりに伐らず。是皆天地のうみ出しやしなひて、いつくしみ給ふ物なれば、これをあはれみ養ふは、天地の御心に従ひて背かざるわざなり。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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