二宮翁夜話 / 巻之四
世の中刃物を取り遣りするに、刃の方を我が方へ向け、柄の方を先の方にして出すは、是道徳の本意なり、此意を能押弘めば、道徳は全かるべし、人々此の如くならば、天下平かなるべし、夫刃先を我方にして先方に向ざるは、其心、万一誤ある時、我身には疵を付る共、他に疵を付ざらんとの心なり、万事此の如く心得て我身上をば損す共、他の身上には損は掛じ、我が名誉は損する共、他の名誉には疵を付じと云精神なれば、道徳の本体全しと云べし、是より先は此心を押広むるのみ。
書き下し
世の中刃物(はもの)を取り遣(や)りするに、刃(は)の方を我が方へ向け、柄(え)の方を先の方にして出すは、是(これ)道徳の本意なり、此の意を能(よ)く押し弘(ひろ)めば、道徳は全(まった)かるべし、人々此の如くならば、天下平(たいら)かなるべし、夫(それ)刃先を我が方にして先方(せんぽう)に向けざるは、其の心、万一誤(あやまり)ある時、我が身には疵(きず)を付くるとも、他に疵を付けざらんとの心なり、万事此の如く心得て我が身上(しんじょう)をば損すとも、他の身上には損は掛(か)けじ、我が名誉は損するとも、他の名誉には疵を付けじと云う精神なれば、道徳の本体全しと云うべし、是(これ)より先は此の心を押し広むるのみ。
現代語訳
世の中で刃物をやり取りするとき、刃を自分の方へ向け、柄を相手の方にして差し出すのは、これこそ道徳の本来の心である。この心をよく押し広めれば、道徳は完全なものになるだろう。人々がみなこのようであれば、天下は平らかになるはずだ。そもそも刃先を自分の方に向け、相手の方に向けないのは、その心が、万一過ちがあったとき、自分の身は傷つけても他人を傷つけまいとする心だからである。万事このように心得て、自分の身の上は損しても他人の身の上には損をかけまい、自分の名誉は損なっても他人の名誉には傷をつけまいという精神であれば、道徳の本体は完全だといえる。これから先は、ただこの心を押し広めるだけである。
解説
刃物を人に手渡すとき、刃を自分に向け柄を相手に向けて差し出す――この何気ない所作にこそ道徳の本質があると尊徳は説きます。万一過ちがあっても、自分は傷ついても相手は傷つけまいとする心。この一点を万事に押し広め、「自分は損しても他人には損をかけまい、自分の名誉は損なっても他人の名誉は傷つけまい」と徹底すれば、道徳は完全になり天下は平らかになるといいます。ここには自分より他者を先に立てる推譲の精神が、身近な行為として鮮やかに示されています。損得や名誉をめぐって他人と争いがちな私たちにとって、まず相手の安全と利益を思いやるこの姿勢は、人間関係を円滑にする普遍の知恵といえるでしょう。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳推譲道徳思いやり譲
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