二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、何事にも変通といふ事あり、しらずんばあるべからず、則ち権道なり、夫れ難きを先にするは、聖人の教なれども、是は先仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云が如き教なり、爰に農家病人等ありて、耕耘手後れなどの時、草多き処を先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、草少く至て手易き畑より手入して、至て草多き処は、最後にすべし、是尤も大切の事なり、至て草多く手重の処を先にする時は、大に手間取れ、其間に草少き畑も、皆一面草になりて、何れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝や八畝は荒すとも侭よと覚悟して暫く捨置き、草少く手軽なる処より片付くべし、しかせずして手重き処に掛り、時日を費す時は、僅の畝歩の為に、惣体の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり、国家を興復するも又此理なり、しらずんばあるべからず、又山林を開拓するに、大なる木の根は、其侭差置て、回りを切り開くべし、而して三四年を経れば、木の根自ら朽て力を入ずして取るゝなり、是を開拓の時一時に掘取らんとする時は労して功少し、百事その如し、村里を興復せんとすれば、必抗する者あり、是を処する又此理なり、決して拘るべからず障るべからず、度外に置てわが勤を励むべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、何事にも変通(へんつう)といふ事あり、しらずんばあるべからず、則(すなわ)ち権道(けんどう)なり、夫(そ)れ難きを先にするは、聖人の教なれども、是は先づ仕事を先にして、而(しか)して後に賃金を取れと云ふが如き教なり、爰(ここ)に農家病人等ありて、耕耘(こううん)手後れなどの時、草多き処を先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、草少く至(いた)て手易き畑より手入して、至て草多き処は、最後にすべし、是(これ)尤(もっと)も大切の事なり、至て草多く手重(ておも)の処を先にする時は、大に手間取れ、其間に草少き畑も、皆一面草になりて、何(いず)れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝(せ)や八畝は荒すとも侭(まま)よと覚悟して暫く捨置(すてお)き、草少く手軽なる処より片付(かたづ)くべし、しかせずして手重き処に掛り、時日を費す時は、僅(わず)かの畝歩(せぶ)の為に、惣体(そうたい)の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり、国家を興復するも又此理なり、しらずんばあるべからず、又山林を開拓するに、大なる木の根は、其侭差置(さしお)きて、回りを切り開くべし、而して三四年を経れば、木の根自(おのづか)ら朽(く)ちて力を入(いれ)ずして取るゝなり、是を開拓の時一時に掘取らんとする時は労して功少し、百事その如し、村里を興復せんとすれば、必(かなら)ず抗する者あり、是を処する又此理なり、決して拘(かかわ)るべからず障(さわ)るべからず、度外に置(お)きてわが勤を励むべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。何事にも「変通」(臨機応変の融通)ということがあり、これを知らずにいてはならない。すなわち権道(状況に応じた便法)である。そもそも「難しいことを先にせよ」というのは聖人の教えだが、これは仕事を先にして報酬は後で取れというような教えだ。だが、たとえば農家に病人が出て耕作や草取りが遅れたようなときは、雑草の多い畑を先に手入れするのが世間の常だけれども、そういう時に限っては、草が少なく手のかからない畑から手入れし、草の多い所は最後にすべきである。これがきわめて大切だ。草が多く手間のかかる所を先にすれば大いに手間を取られ、その間に草の少ない畑も一面草だらけになって、どれも手遅れになってしまう。だから草が多く手間のかかる畑は、五畝や八畝は荒れてもままよと覚悟してしばらく捨て置き、草が少なく手軽な所から片付けるべきだ。そうせずに手間のかかる所にかかって日数を費やせば、わずかな面積のために田畑全体の手入れが順々に遅れ、大きな損となる。国家を復興するのもまたこの理である。知らずにいてはならない。また山林を開くとき、大きな木の根はそのまま置いて、周りを切り開くのがよい。三、四年もすれば木の根は自然に朽ちて、力を入れずに取れる。これを開墾の時に一度に掘り取ろうとすれば、骨を折る割に成果は少ない。あらゆることがこの通りだ。村里を復興しようとすれば、必ず抵抗する者がいる。これに対処するのもまたこの理で、決してこだわらず、差し障りとせず、問題の外に置いて自分の務めに励むべきである。
解説
この章句が説くこと
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