師導古典を学びたいすべての人に

甲陽軍鑑 / 品第四十三

軍法も信玄公の十分一ならでなし、殊更信虎公二十八歲の御時くしま合戰の砌り、ふだい衆大かた在所へ引籠り見所仕つる、右のくしまに勝給ひて、其時より甲州一國の衆を八年の間に悉とくたへし給ふに付、二百·三百或ひは五百楯籠りたる城どもせめ取なさるによつて、矢疵·鑓疵·刀疵しげく手負たる衆多しゝ然れ共、信虎公家中にて譜代衆·牢人衆の中にて健なる武士を七十五人ゑらひいだしなさるゝ侍衆、信玄公の御代に大形討死して、

新字:軍法も信玄公の十分一ならでなし、殊更信虎公二十八歳の御時くしま合戦の砌り、ふだい衆大かた在所へ引籠り見所仕つる、右のくしまに勝給ひて、其時より甲州一国の衆を八年の間に悉とくたへし給ふに付、二百·三百或ひは五百楯籠りたる城どもせめ取なさるによつて、矢疵·鑓疵·刀疵しげく手負たる衆多しゝ然れ共、信虎公家中にて譜代衆·牢人衆の中にて健なる武士を七十五人ゑらひいだしなさるゝ侍衆、信玄公の御代に大形討死して、

書き下し

軍法も信玄公の十分一ならでなし、殊更信虎公二十八歳の御時くしま合戦の砌り、ふだい衆大かた在所へ引籠り見所仕つる、右のくしまに勝給ひて、其時より甲州一国の衆を八年の間に悉とくたへし給ふに付、二百·三百或ひは五百楯籠りたる城どもせめ取なさるによつて、矢疵·鑓疵·刀疵しげく手負たる衆多しゝ然れ共、信虎公家中にて譜代衆·牢人衆の中にて健なる武士を七十五人ゑらひいだしなさるゝ侍衆、信玄公の御代に大形討死して、

現代語訳

軍法も信玄公の十分の一でしかない。殊更、信虎公が二十八歳の御時、九島合戦の砌り、譜代衆は大方在所へ引き籠って見所を仕った。右の九島に勝ち給うて、その時から甲州一国の衆を八年の間にことごとく従え給うにつき、二百・三百あるいは五百が楯籠った城どもを攻め取りなさるによって、矢傷・鑓傷・刀傷が繁く、手負いになった衆が多い。しかしながら、信虎公の家中にて譜代衆・牢人衆の中で健やかなる武士を七十五人選び出しなさる侍衆は、信玄公の御代に大方討死して、

解説

父の代と子の代を、軍法の質で比べている。信虎は城を力攻めして手負いを重ね、選び抜いた七十五人も次の代で大方討死した。信玄の軍法が十倍だと言うのは、同じ国を同じ人数で回しながら、損の出方が違うという意味である。同じ国を同じ人数で回しながら、損の出方が違うという意味である。軍法が十倍だという言い方の中身が、損耗の差として説明されている。

この章句が説くこと

信虎力攻め損耗軍法比較代替り

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる