甲陽軍鑑 / 品第六
從來より果報ある人は不祈とも吉なるべし、果報なき人は禱りても不叶も有べし、又不禱して惡しき者も有べし、自然禱りてよき人も有べし、是れ皆な天道也、果報生れ付たる人はたとへば自然木のごとし、自然木は風にあたりてもかるゝ事まれなり、木はいづれも同事と思へ共、上に柱をそへてゆはぬならばすこし風にもあてられてかれんことは疑ひなし、我れ此度の求聞持は樹に添木をゆふ心也、
新字:従来より果報ある人は不祈とも吉なるべし、果報なき人は禱りても不叶も有べし、又不禱して悪しき者も有べし、自然禱りてよき人も有べし、是れ皆な天道也、果報生れ付たる人はたとへば自然木のごとし、自然木は風にあたりてもかるゝ事まれなり、木はいづれも同事と思へ共、上に柱をそへてゆはぬならばすこし風にもあてられてかれんことは疑ひなし、我れ此度の求聞持は樹に添木をゆふ心也、
書き下し
従来より果報ある人は不祈とも吉なるべし、果報なき人は禱りても不叶も有べし、又不禱して悪しき者も有べし、自然禱りてよき人も有べし、是れ皆な天道也、果報生れ付たる人はたとへば自然木のごとし、自然木は風にあたりてもかるゝ事まれなり、木はいづれも同事と思へ共、上に柱をそへてゆはぬならばすこし風にもあてられてかれんことは疑ひなし、我れ此度の求聞持は樹に添木をゆふ心也、
現代語訳
従来より、果報のある人は祈らなくとも吉であろう。果報のない人は祈っても叶わない事もあろう。また祈らずして悪い者もあろう。自然と祈ってよい人もあろう。これは皆な天道である。果報が生まれ付いた人は、たとえば自然木のごとし。自然木は風に当たっても枯れる事はまれである。木はいずれも同じ事と思うけれども、上に柱を添えて結わないならば、少し風に当てられても枯れる事は疑いない。我がこの度の求聞持は、樹に添え木をゆう心である。
解説
祈りが効くかどうかを四通りに分けたうえで、それは天道の側の話だと切り離す。そのうえで自分の荒行を、果報を求める願かけではなく、風に耐えるための添え木だと言い直した。効くから祈るのではなく、自分を保たせるために行じるという整理である。効くから祈るのではなく、自分を保たせるために行じるという整理である。荒行を、願かけではなく風に耐えるための添え木だと言い直した。
この章句が説くこと
祈り天道添え木自然木修行支え
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