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甲陽軍鑑 / 品第六

信州伊奈四郎の御事也、信州諏訪賴茂の跡目なる故、武田相傳の信の字をさり給ふ、信玄公の御跡も十五年の間子息太郞竹王信勝廿一歳までの陣代と號してかり孫子の事なる故、武田の御旗は終にもたせ給はず、况んや信玄公尊崇の御幡もゆつらせ給はず、元伊奈におはします時の大文字の旗也、

新字:信州伊奈四郎の御事也、信州諏訪頼茂の跡目なる故、武田相伝の信の字をさり給ふ、信玄公の御跡も十五年の間子息太郎竹王信勝廿一歳までの陣代と号してかり孫子の事なる故、武田の御旗は終にもたせ給はず、況んや信玄公尊崇の御幡もゆつらせ給はず、元伊奈におはします時の大文字の旗也、

書き下し

信州伊奈四郎の御事也、信州諏訪頼茂の跡目なる故、武田相伝の信の字をさり給ふ、信玄公の御跡も十五年の間子息太郎竹王信勝廿一歳までの陣代と号してかり孫子の事なる故、武田の御旗は終にもたせ給はず、況んや信玄公尊崇の御幡もゆつらせ給はず、元伊奈におはします時の大文字の旗也、

現代語訳

信州伊那四郎のことである。信州の諏訪頼茂の跡目であるから、武田相伝の信の字を外しておられる。信玄公の跡も十五年の間、子息の太郎竹王信勝が二十一歳になるまでの陣代と呼んで、いわば孫の代のための預かりであるから、武田の御旗はついに持たせられなかった。まして信玄公が尊崇なさった御旗も譲られなかった。もと伊那におられた時の、大の文字の旗である。

解説

武田勝頼が何者として立てられていたかを、名と旗の二点だけで言い切っている。諏訪家を継いだので通字の信がなく、家督ではなく孫の信勝までの陣代とされ、武田の旗も孫子の旗も渡されない。長篠のあとに武田が崩れていく理由を、この書は器量よりも先にこの名分の欠けから説く。旗を渡さないという一点が、家中の求心力を左右した。名分の欠けは、当人の器量では埋められないということでもある。

この章句が説くこと

勝頼陣代御旗名分継承正統

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