甲陽軍鑑 / 品第四十八
但し淸僧ならば又何かあらん、淸僧へ對しての仕付は尤も有べし、さなくば淸僧落僧の隔て有まじ、淸僧落僧の隔には、今の書立、落墮僧達、妻帶役と申物を致せとて安間と云ふ侍を、さいたい役の代官に被成置、其已後女房たいする法華坊主は、皆安間三左衞門方へ、年に一度づゝ年貢を出す也、信玄公大慈大悲の大將にて出家を殺すことを不被成しかも其坊主の讀經にて色々に引替、さばき給ふ事、文武二道の名大將とよその國にても感ずるなり天正三年乙亥六月吉日高坂彈正書之
新字:但し清僧ならば又何かあらん、清僧へ対しての仕付は尤も有べし、さなくば清僧落僧の隔て有まじ、清僧落僧の隔には、今の書立、落堕僧達、妻帯役と申物を致せとて安間と云ふ侍を、さいたい役の代官に被成置、其已後女房たいする法華坊主は、皆安間三左衛門方へ、年に一度づゝ年貢を出す也、信玄公大慈大悲の大将にて出家を殺すことを不被成しかも其坊主の読経にて色々に引替、さばき給ふ事、文武二道の名大将とよその国にても感ずるなり天正三年乙亥六月吉日高坂弾正書之
書き下し
但し清僧ならば又何かあらん、清僧へ対しての仕付は尤も有べし、さなくば清僧落僧の隔て有まじ、清僧落僧の隔には、今の書立、落堕僧達、妻帯役と申物を致せとて安間と云ふ侍を、さいたい役の代官に被成置、其已後女房たいする法華坊主は、皆安間三左衛門方へ、年に一度づゝ年貢を出す也、信玄公大慈大悲の大将にて出家を殺すことを不被成しかも其坊主の読経にて色々に引替、さばき給ふ事、文武二道の名大将とよその国にても感ずるなり天正三年乙亥六月吉日高坂弾正書之
現代語訳
ただし清僧ならば、また何かあらん。清僧へ対しての仕付けはもっともあるべし。さなくば、清僧と落僧の隔てはあるまじ。清僧と落僧の隔てには、今の書き立ての落堕の僧達、妻帯役と申す物をいたせとて、安間という侍を妻帯役の代官になされ置き、それ以後、女房を帯する法華坊主は皆、安間三左衛門方へ年に一度ずつ年貢を出すなり。信玄公は大慈大悲の大将にて出家を殺す事をなされず、しかもその坊主の読経にて色々に引き替え裁き給う事、文武二道の名大将とよその国にても感ずるなり。天正三年乙亥六月吉日、高坂弾正これを書く。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。